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東京地方裁判所 平成8年(特わ)2887号 判決 2000年5月12日

主文

被告人両名はいずれも無罪。

理由

第一  公訴事実の要旨

被告人A'(以下「被告人A」という。)は、ゴルフ場開発事業を営む株式会社甲野リゾート開発(以下「甲野リゾート開発」という。)の代表取締役として同会社の業務全般を統括していたもの、被告人B'(以下「被告人B」という。)は、同会社の取締役として同会社の経理全般を掌理していたものであり、他方、C'(以下「C」という。)は、不動産等を担保とする金銭の貸付け等を目的とする日本ハウジングローン株式会社(以下「JHL」という。)の代表取締役として同会社の業務全般を統括し、D'(以下「D」という。)は、同会社の常務取締役として事業ローン案件の貸出しに関する審査、実行等の業務全般を統括し、E'(以下「E」という。)は、同会社のローン開発部長として事業ローン案件の貸出しに関する審査等の業務を統括し、いずれも同会社の行う金銭の貸付け又は連帯保証等の債務保証に当たっては、同会社の貸出規定等の定めを遵守するのはもとより、あらかじめ貸付先又は被保証人の営業状態、資産、資金使途等を精査するとともに、確実にして十分な担保を徴するなどして貸付金又は求償権の行使による債権の回収に万全の措置を講ずるなど同会社のため職務を誠実に実行すべき任務を有していたものであるが、

一  被告人両名は、C、D及びE(以下三名を合わせて「Cら」ということがある。)と共謀の上、甲野リゾート開発等の利益を図る目的をもって、Cらの右任務に背き、同会社が群馬県甘楽郡下仁田町において計画していたゴルフ場開発事業はゴルフ会員権相場の下落等により採算性に乏しい上、同会社には他に特段の資産がなく債務の返済能力がないことから、JHLが甲野リゾート開発に貸付けを行えばその貸付金の回収が危ぶまれる状態にあることを熟知しながら、

1  平成三年八月二八日ころ、東京都千代田区有楽町<番地略>所在のJHL本店において、JHLから甲野リゾート開発に九億三五〇〇万円を貸し付け、

2  同年九月二六日ころ、右JHL本店において、JHLから甲野リゾート開発に三億二五〇〇万円を貸し付け、

3  同年一〇月一一日ころ、右JHL本店において、JHLから甲野リゾート開発に三億三五〇〇万円を貸し付け、

二  被告人両名は、D及びE(以下両名を合わせて「Dら」ということがある。)と共謀の上、甲野リゾート開発等の利益を図る目的をもって、Dらの前記任務に背き、前記のとおり、甲野リゾート開発には債務の返済能力がないことから、同会社が株式会社青木建設(以下「青木建設」という。)から三億円を借り受けるに当たり、JHLが連帯保証をすれば、その履行に基づく求償権の行使による債権の回収が危ぶまれる状態にあることを熟知しながら、平成四年一月二七日ころ、右JHL本店において、右連帯保証をし、

もって、JHLに右各同額の財産上の損害を与えたものである。

第二  当事者双方の主張の概要及び本件の主たる争点

一  検察官の主張

検察官の主張は、要するに、次のようなものである。すなわち、甲野リゾート開発が群馬県甘楽郡下仁田町で開発を進めていたゴルフ場(以下「本件ゴルフ場」という。また、その開発事業を「本件ゴルフ場開発事業」という。)の開発用地は、高級なゴルフ場の造成に適さない地勢であるため、会員権を高額で販売することは難しく、その販売収入で開発資金を賄うことには当初から困難が予想された上、本件公訴事実記載の各融資及び連帯保証(以下「本件融資等」という。)が行われた当時には、更に会員権相場の下落、用地取得作業の難航、本件ゴルフ場用地に近接する火葬場の移転問題等が加わって、本件ゴルフ場開発事業の先行きは極めて暗く、融資等を行ってもその返済を期待できない状況に陥っていた。したがって、このような状況の中で行われた本件融資等は、Cらが甲野リゾート開発に対する過去の杜撰な融資等の実態を糊塗し、同会社の行うゴルフ場開発事業に一応の成果を得たとの外観を作ろうとする自己保身目的で実行した背任行為というべきところ、被告人両名は、Cらが融資等を続けることがJHLに財産上の損害を与えるCらの任務違背に当たることを認識しながら、甲野リゾート開発や被告人両名自身の利益を図る目的から、自己保身のため甲野リゾート開発に対する融資等を継続せざるを得ないCらの弱みに付け込んで融資等を求め、ここにCらと意思の連絡を遂げた上、Cらをして本件融資等に及ばせたものであって、Cらの犯罪行為を積極的に利用して被告人両名自身の利益を実現したものと評価できるから、被告人両名についても特別背任罪の共謀共同正犯が成立する、というのである。

二  弁護人の主張

これに対し、弁護人の主張は、要するに、本件ゴルフ場は米国の著名な設計家の設計に基づき法人向け高級コースとして開発が進められていたものである上、本件ゴルフ場開発事業には株式会社日本興業銀行(以下「興銀」という。)及びその関連会社(以下合わせて「興銀グループ」という。)が積極的に参画しており、会員権の販売については興銀グループの全面的な支援が約束されていたから、本件融資等の当時、右開発事業に対する融資には十分に回収の見込みがあったし、借り手である被告人両名としては貸し手であるCらの認識や目的は全く知らされておらず知る由もなかったから、被告人両名にはCらの背任の認識もCらとの共謀も存在しなかった、というのである。

三  本件の主たる争点

以上のとおり、本件では、本件融資等がCらの背任行為に当たるかどうか、すなわち、本件融資等の当時における融資金等(以下JHLからの融資金及びJHLの連帯保証を伴う他社からの融資金をあわせて「融資金等」と呼ぶことがある。)の返済見込みの有無等が争点となるほか、商法上のいわゆる特別背任罪の身分を有しない被告人両名についても同罪が成立するかどうか、すなわち、本件融資等のJHLに対する加害性、Cらにとっての本件融資等の任務違背性及びCらの図利加害目的に関する被告人両名の認識の有無並びに被告人両名とCらとの間の共謀の成否が主たる争点である。

第三  証拠上明らかな基本的事実関係

関係各証拠によれば、本件ゴルフ場開発事業の概要ないし進捗状況、本件融資等に至る経緯、融資状況等の本件における基本的事実関係は、おおむね以下のとおりであることが明らかである。

一  被告人両名の経歴

1  被告人Aは、昭和三六年三月、栃木県の工業高校を卒業し、会社員、書籍店の店員等を経て、昭和四六年ころから、自ら画廊経営や映画製作会社の経営等を手掛けた後、昭和六〇年ころからは個人で不動産のブローカーを行うようになった。そして、昭和六一年一〇月ころ、女優の甲野花子(本名乙野花子。以下「花子」という。)の長男である乙野太郎(以下「太郎」という。)と知り合い、太郎との共同出資により株式会社リバーハウス(以下「リバーハウス」という。)を設立して不動産業を始め、その後は、後に認定するように、昭和六三年ころから本件ゴルフ場開発事業に乗り出し、同年九月には本件ゴルフ場の開発会社として甲野リゾート開発を設立してその代表取締役に就任し、さらに、平成二年六月には、ゴルフ場運営会杜として設立された株式会社メイプルクィーン(以下「メイプルクィーン」という。)の代表取締役にも就任して、両会社の業務全般を統括するとともに、本件ゴルフ場開発事業に専念するようになった。

2  被告人Bは、昭和五〇年ころ、当時画廊を経営していた被告人Aと知り合い、その後被告人Aの下で働き始め、昭和六二年二月には、被告人Aが設立した有限会社グリーンハウス(以下「グリーンハウス」という。)の代表取締役に就任して、被告人Aと共に不動産業を営んでいた。その後、被告人Aが本件ゴルフ場開発事業に乗り出すと、被告人Aの指示により、昭和六三年九月ころから甲野リゾート開発及びそのグループ会社の経理を担当するようになり、平成元年七月には甲野リゾート開発の取締役に就任し、本件融資等の当時も同会社及びそのグループ会社の経理関係を掌理し統括する立場にあった。

二  甲野リゾート開発及びそのグループ会社の概要、経営状態等

1  甲野リゾート開発の概要及び経営状態

甲野リゾート開発は、昭和六三年九月二日、被告人Aと太郎との共同出資により、本件ゴルフ場開発事業を行うことを目的として資本金五〇〇〇万円(同年一二月二〇日付けで二億円に増資)で設立され、代表取締役には被告人Aが就任した(一時的に花子も共同して代表取締役に就任)。

同会社は、本件ゴルフ場が結局開業に至ることができなかったことから、設立以来売上等の経営利益が一切なく、その運営資金はJHL、青木建設、池田ソフトファイナンス株式会社(以下「池田ソフトファイナンス」という。)等からの借入金によって賄わざるを得ない状態にあり、毎期経常損失が発生し、本件融資等の前後も債務超過の状態が続いていた。また、甲野リゾート開発には特段の資産もなかった。

2  メイプルクィーンの概要及び経営状態

メイプルクィーンは、平成二年六月一日、JHL及び青木建設に加え、興銀の関連会社等の出資により、本件ゴルフ場の会員権販売及び完成したゴルフ場の運営等を目的として資本金一億円で設立され、代表取締役には被告人Aが就任した。なお、平成六年八月二九日付けで商号を株式会社エンジェルスパインに変更している。

メイプルクィーンも、甲野リゾート開発と同様、設立以来営業収益がなく、その運営資金はJHLや池田ソフトファイナンス等からの借入金によって賄っている状態にあり、設立以後毎期経常損失が発生し、債務超過の状態が続いていた。また、メイプルクィーンにも特段の資産はなかった。

3  その他関連会社の概要及び経営状態

被告人Aは、本件融資等の当時、不動産売買、仲介等を目的として昭和六一年一〇月に設立されたリバーハウス及び不動産開発、企画事業等を目的として同年一一月に設立された有限会社プリモ・インターナショナル(以下「プリモ」という。)の代表取締役に就任していたほか、被告人Bが代表取締役を務めるグリーンハウスについても実質的経営者の地位にあった。

これらの会社はいずれも、特段の資産がなく、また、本件ゴルフ場開発事業が始められた後は、専らゴルフ場の用地買収を行ったり、被告人Aが計画した下仁田町における総合リゾート開発に関する業務に携わっており、甲野リゾート開発から業務委託費名目で支払われる報酬を除けば特段の営業収益はなく、同会社がJHL等から借り入れた融資金が右業務委託費や貸付金という形でこれらの会社に還流され、それによって運営資金が賄われるという状態にあったため、右開発事業が開始された後は債務超過の状態が続いていた。

4  甲野リゾートグループの人的構成及び経理処理の状況

右のとおり、甲野リゾート開発、メイプルクィーン、リバーハウス、プリモ及びグリーンハウスの各社(以下「甲野リゾートグループ」と総称する。)はいずれも、法人格は別とはいえ、本件ゴルフ場開発事業が開始されて以降は、グループ一体となってこれに臨む態勢がとられており、所属する社員も混然としていた。

また、その経理も、帳簿上は独立しているものの、実際には、被告人Aがグループ全体として必要な資金量やその具体的使途を決定し、被告人B及びその下で経理を担当していた橋本圭司が資金用途の種類等によって資金を各社に配分した上、前認定のような貸付金等の名目による帳簿上の振り分けを行っていた。

三  JHLの概要及びCらの経歴、任務等

1  JHL及びローン開発部の概要

JHLは、昭和五一年六月、興銀、株式会社日本債券信用銀行、大和證券株式会社等を母体とし、東京都千代田区有楽町<番地略>を本店として設立された、不動産等を担保とする住宅貸付け及びその他の金銭の貸付け等を目的とする住宅金融専門会社(いわゆる住専)である。

JHLは、設立当初は個人向け住宅ローンの融資を営業の主力としていたが、昭和五七、八年ころ、都市銀行等が右分野に進出し、これに顧客が奪われるなどしたことから、他の住専と同様、事業用や販売用不動産の取得資金等を融資するいわゆる事業ローンの営業を展開し始め、昭和五八年二月、事業ローンの貸出しに関する業務を集中する部署としてローン開発室を営業推進部(後の業務推進部)の部外室として設置し、同年六月にはローン開発部へとその組織を充実させた。

ローン開発部は、いわゆるバブルの絶頂期に大型事業ローンの貸出し等を行うなどしてJHLの業容拡大のために活動したが、その後のバブルの崩壊と長引く不動産市況の低迷を受けて、平成四年六月に廃部された。その後、平成八年八月三一日にはJHL自体も多額の不良債権を抱えて解散し、その保有債権は同年一〇月一日付けで株式会社住宅金融債権管理機構(以下「住管機構」という)に譲渡された。

2  Cらの経歴等

(一) Cは、昭和五六年六月にJHLの代表取締役社長に就任し、本件公訴事実第一記載の各融資の当時も、代表取締役社長として、JHLの業務全般を統括し、同記載のとおりの任務を有していたが、平成四年一月六日付けで社長の地位を後任の會田稜三(以下「會田」という。)に譲って、自らは代表取締役会長に就任した後、同年六月に代表取締役を辞任し、平成五年六月には取締役も退任している。

(二) Dは、昭和六二年六月にJHLの取締役から常務取締役に昇進し、本件融資等の当時も、ローン開発部担当の常務取締役として、事業ローン案件の貸出しに関する審査、実行等の業務全般を統括し、Cと同様の任務を有していた。その後、平成四年六月に常務取締役を退任し、平成五年六月には取締役も退任している。

(三) Eは、平成元年一二月に興銀からJHLに出向してローン開発部長に就任し、本件融資等の当時も、ローン開発部長として、事業ローンの貸出しに関する審査等の業務を統括し、Cと同様の任務を有していた。その後、平成四年六月に興銀に復帰している。

四  本件ゴルフ場開発事業の経緯及び進捗状況

1  被告人Aによるゴルフ場計画の発意

被告人Aは、前認定のように、昭和六〇年ころから不動産業を営んでいたが、これに飽き足らず、不動産開発案件も手掛けたいと考えて、昭和六一年一一月にプリモを設立し手頃な開発案件を模索していた。その後、折りからのゴルフ場開発ブームを受けて、昭和六二年中にはゴルフ場開発を行おうと企図し、被告人Bやリバーハウスの社員に情報を集めさせるなどして適当なゴルフ場開発用地を探し始めた。

昭和六三年前半ころ、被告人Aは、他の不動産業者から下仁田町所在の山林等(以下「本件開発用地」という。)を紹介されたことから、現地に赴くなどして調査した結果、その地勢から造成費のかさむことが予想され、その用地内や近接地にごみ焼却場及び最終処分場(以下「ごみ処理場」という。)や火葬場があってこれらの移転が必要となるなどの開発上の問題点がある一方、地権者のまとまりが良く開発同意が集めやすいとの情報が得られたほか、下仁田町もゴルフ場誘致に積極的であることが判明した。その後、ゴルフ場の設計等に定評のある日栄土木設計株式会杜(以下「日栄土木」という。)の代表取締役佐野輝夫や常務取締役佐々木博康(以下「佐々木」という。)らにも現地を見てもらったところ、費用は掛かるがゴルフ場の建設自体は可能であるとの回答が得られたことなどから、被告人Aは、同年夏ころまでに、本件開発用地でゴルフ場開発を行うことを決意した。

同じころ、被告人Aは、花子をゴルフ場開発の看板とし、開発を立ち上げる資金も花子から援助を受けようと考えて、太郎及び花子に対し、本件ゴルフ場開発事業への協力を働き掛けて賛同を得た上、昭和六三年六月から平成元年ころまでの間に、花子が所有する不動産を担保として銀行やいわゆる街の金融業者(以下「街金」という。)から借り入れるなどして開発資金の一部を確保するとともに、ゴルフ場開発会社(後の甲野リゾート開発)の設立や出資についても、太郎及び花子の了承を得た。

そして、被告人Aは、本件開発用地に、花子を看板に据え、政財界や芸能・スポーツ関係者等の個人会員を中心とする一八ホールのメンバーシップゴルフ場の開発を企画し、昭和六三年八月九日付けで下仁田町に対し「下仁田国際カントリー倶楽部」を仮称とする開発事業計画事前構想書(以下「事前構想書」という。)を提出してゴルフ場開発に正式に着手し、また、太郎との共同出資により開発事業主体となる会社として同年九月二日付けで甲野リゾート開発を設立した。

2  群馬県におけるゴルフ場の開発規制

ところで、群馬県においてゴルフ場を開発するには、大規模土地開発事業の規制等に関する条例及び大規模土地開発事業に関する指導要領の定めるところにより、①市町村長等に対する開発事業構想の提示(事前構想書の提出)、②県知事に対する大規模土地開発事業計画協議書(以下「事前協議書」という。)の提出及び県側の受理、③各種の許認可承認手続の準備としての事前協議手続、④市町村長を経由した県知事に対する大規模土地開発事業承認申請書の提出(以下この申請を「本申請」、申請書を「本申請書」という。)及び県側の受理、⑤県知事による大規模土地開発事業の承認(以下この承認を「本許可」という。)という順序で手続を進める必要があった。また、事前協議書の提出には地権者総数及び総面積の各九〇%以上の開発同意の取得が、本申請書の受理には地権者全員の同意の取得がそれぞれ必要とされていたほか、本許可取得後でなければ造成工事に着手できず、造成工事着手後でなければ会員権を販売できないとされていた。

3  事前協議書提出までの経過

甲野リゾート開発では、昭和六三年九月ころ以降、地元の不動産業者らの協力を得て地権者を集めた説明会を開催するなどして、地権者からの同意書の取付けを始め、平成元年一月下旬ころまでには、事前協議書の提出に必要な地権者総数及び総面積の各九〇%以上の同意を取得した。

一方、甲野リゾート開発は、昭和六三年一一月一七日、日栄土木との間で、ゴルフ場の調査・設計や許認可取得に関するコンサルタント契約を締結し、以後、日栄土木の佐々木やリバーハウスの小澤六雄(以下「小澤」という。)が中心となって県の担当各課や下仁田町との折衝を進め、事前協議の準備を行った。

また、平成元年初めころには、日栄土木の紹介で、いわゆるゼネコンでありゴルフ場の建設についても実績を有する青木建設の東京支店長植良雄三(以下「植良」という。)、同支店営業部長若林宏(以下「若林」という。)らが本件開発用地を調査し、同年四月ころまでに、青木建設が本件ゴルフ場の造成工事の受注に向けて本件ゴルフ場開発事業に関与する方針を決定し、その後は若林が中心となって許認可取得作業等に協力するようになった。

ところで、被告人Aは、本件開発用地の地勢が険しいことなどから本件ゴルフ場の開発に多額の費用の掛かることが見込まれたため、昭和六三年一〇月ころ、事業の採算を考えて、ゴルフ場のホール数を当初の一八ホールから二七ホールに拡大しようとした。しかし、事前協議の準備段階において、県側から一八ホールにとどめるよう指導されたためこれを断念した。また、同年一二月六日に県側から行われた事前構想書に対する指導の中で、林務部治山課(以下「治山課」という。)は、地形が急峻であるなどとしてゴルフ場としての適格性に疑問を呈するとともに、コース間の残地森林を二〇メートル以上確保し、総移動土工量を二三〇万立方メートル(以下立方メートルを「立米」という。)程度とすることを甲野リゾート開発側に求めた。被告人Aは、右指摘を受けてもゴルフ場開発を断念することなく、日栄土木にできるだけ移動土工量を抑えるコース設計を依頼する一方、県側に対しては、移動土工量の上積みを認めさせるための折衝を続けることにした。

そして、甲野リゾート開発は、平成元年二月二〇日、群馬県知事に対し事前協議書を提出し、同協議書は、同月二二日に企画部土地対策課(以下「土地対策課」という。)において受理された。なお、同協議書において、総事業費は一〇三億円、会員権販売収入は一二七億五〇〇〇万円と見積もられているが、これは行政側に配慮して控え目な数字が記載されたものである。

4  事前協議の状況

群馬県では、土地対策課が開発業者からの事前協議書を受理すると、関係部課で構成する企画調整会議や土地利用専門部会が設置され、現地調査や関係者への聴聞を経た上、業者に対する指摘事項を通知し、業者からの回答後に検討ないし審査を行い、審査がまとまれば、県知事の諮問機関である大規模土地開発事業審議会を経由して事前協議が終了することとされていた。

そして、本件ゴルフ場開発事業については、平成元年四月に現地調査や聴聞が行われた後、関係各課から各種の指摘事項が提出されたが、その後、全指摘事項について甲野リゾート開発側の回答書が出されるまでにおよそ一年近くの期間を要し、県知事から事前協議の終了通知が発せられたのは平成二年七月六日であった。事前協議手続にこのように長期間を費やした主な理由は、以下に掲げる移動土工量や残地森林率といった県の規制上の問題及びごみ処理場の移転問題であった。

(一) 移動土工量等の問題

県の土地対策課や治山課の担当者は、事前協議の中で、開発の際に生ずる移動土工量について、二三〇万立米という県の規制を遵守するよう強く求め、甲野リゾート開発が提出した日栄土木作成の計画平面図について、高低差や狭量等のコースの欠点を指摘し、打合せに出席していた佐々木や小澤に対しても、計画どおりのコース造成を本当にする意向があるのかについて再三確認を行った。

その後、日栄土木側で移動土工量を二八〇万立米以下に抑えて設計図面を作成し直し、県側も二八〇万立米まで譲歩するなどした結果、一応この点に関する協議はまとまったが、土地対策課の係長からは、なおも小澤や若林ら青木建設の担当者に対し、右設計図面どおりのコース造成を行うことの意思確認が繰り返されたほか、平成二年初めころには、被告人Aや若林に対し、右設計図面どおりに造成工事を実施する旨の誓約書の提出を求めてきたりした。

(二) ごみ処理場移転問題

前認定のとおり、本件開発用地内にはごみ処理場が設置され、下仁田町等のごみ処理施設として稼働しており、本件ゴルフ場開発に当たっては、これを移転する必要があったところ、事前協議に当たっても、県衛生環境部衛生課から、国の補助金を受けて建設後間もない施設であり、移転について相当の緊急理由の説明が必要であるなどと指摘され、移転問題の早期解決を求められていた。

この点、甲野リゾート開発は、既に昭和六三年一〇月ころ、下仁田町長との間で、同会社の費用負担でごみ処理場を移転する旨の覚書を締結しており、平成元年七月ころまでに移転候補地が選定され、同年一二月一九日には、ごみ処理場を管理していた環境衛生施設組合との間でも覚書を取り交わした。そして、平成二年三月ころから、移転に向けての準備が進められたが、移転予定地の住民の一部が反対姿勢を示したため、同年夏ころ以降、移転交渉は停滞してしまい、県側も本申請受理までに移転場所を決めることを条件に事前協議を終了させることにして、この問題はいったん棚上げにされた。

5  事前協議終了後における本申請の準備状況

(一) 用地買収の難航及び石井問題

平成二年七月に事前協議が終了した後、同年一〇月三〇日には、群馬県知事から国土利用計画法上の不勧告通知があったため、甲野リゾートグループでは地権者との間で売買契約や借地権設定契約の締結(以下「用地買収」という。)を開始した。ところが、全地権者一五〇名余りのうち一三〇名程度は順次契約に至ったが、残りの二十数名については、金額面で折り合いがつかず、地権者側が頑な姿勢を示すなどしたことから、用地買収作業は難航した。

とりわけ、後出のJ・マイケル・ポーレット(以下「ポーレット」という。)が作成した設計図面では六番ホール用地となる土地の所有者石井秀和(以下「石井」という。)は、土地への愛着や自然保護等を理由として開発同意にも応じない姿勢を当初から示しており、甲野リゾートグループの社員や地元の不動産業者らが交渉に当たったものの、話すら聴いてもらえない状況が続き、平成三年五月中旬ころ、被告人Aの指示を受けて、交渉の可否の最終的確認のために二度にわたり石井宅を訪れたリバーハウスの三浦敬美は、石井本人に面会できなかった上、石井の妻から、主人は土地を絶対に売らないと言っている、二度と来ないでほしいなどと言われた。そこで、被告人Aは、石井への働き掛けをいったん打ち切り、日栄土木等と協議の上、同年六月末ころ、本件開発予定地から石井外二名の未買収地権者の所有地を除外し、開発同意の得られた用地のみを開発予定地とするよう計画を変更した上で本申請を行う方針を決めたが、そのために新たな図面の作成や関係機関との協議等が必要となり、本申請の準備作業に更に時間を要することとなった。

(二) ごみ処理場移転問題の進捗状況

一方、ごみ処理場の移転問題は、その後も移転予定地の住民の説得に時間を要したが、平成三年六月ころ同意が得られ、新たなごみ処理施設建設についての許認可も取得して、同年一一月八日付けで県からごみ処理場の移転が正式に承認された。

6  本申請書の提出から受理までの状況

被告人Aは、右認定のとおり、平成三年一一月ころにごみ処理場移転について県の承認が得られたほか、石井らの所有地を除外した本申請の準備等も整ったことなどから、同年一二月二〇日に本申請書を下仁田町を通じて県に提出した。

県の土地対策課は、本申請書の受理に当たって、ゴルフ場開発の確実を期すため、指導要領が定める全地権者の開発同意書だけでなく、契約書の写し等の用地取得を裏付ける書類も提出させる取扱いをしていたが、本申請当時、本件開発用地の地権者の中には、開発予定地から除外された石井ら以外にも、売買価格等の問題で用地買収に至っていない者が八名もいたことから、甲野リゾート開発に対し、これらの地権者との契約締結の確認も必要であるとして、本申請書の受理を拒絶した。

さらに、平成四年一月に本件開発用地内の保安林の指定解除の手続に誤りのあることが判明したことなどもあり、県側が本申請書を受理したのは、最後の地権者との間で契約を締結した後である同年六月一〇日であった。

五  被告人Aのゴルフ場構想の概要

1  事前構想書提出段階の事業計画

被告人Aは、前認定のとおり、当初は、花子を看板とする個人会員中心のメンバーシップゴルフ場を企画し、事業計画としても、昭和六三年夏の事前構想書提出当時は、総事業費一四八億八五〇〇万円、会員数一二〇〇名、会員権販売総額二四九億円を予定し、また、平成元年五月ころに若林らの助言を得て計画をより具体化させた際も、総事業費一八二億二二〇〇万円、会員数一二〇〇名、会員権販売総額二一五億円にとどめていた。

2  平成二年ころ以降の事業計画

その後、事前協議が進む一方、後に認定するとおり、本件ゴルフ場開発プロジェクトについてJHLから融資が行われることになり、ゴルフ場運営会社(メイプルクィーン)に対するJHLや青木建設のほか興銀の関連会社等からの出資話も持ち上がったことから、被告人Aは、従来の計画から離れて法人会員を主体とした高級ゴルフ場を志向するようになり、平成二年五月に花子が死亡した後は、その方針を確定的なものとした。すなわち、被告人Aは、従来の日栄土木による設計を許認可取得のためのものとし、平成元年一一月ころ、実際に造成するコースの設計及び造成の監修を米国の著名な設計家であるポーレットに依頼することとし、当時本件ゴルフ場開発事業の企画、設計を請け負っていた株式会社フルハウステレビプロデュース(平成三年九月に変更した後の商号「株式会社ハウフルス」。以下「ハウフルス」という。)を通じて、平成二年夏ころまでに、ポーレットが代表者を務める会社(以下「ポーレット社」という。)との間で契約を締結し、その後、同年秋以降、ポーレットの手により本件ゴルフ場の設計図面が作成されるに至った(以下「ポーレット図面」という。)。

また、これと並行して、被告人Aは、本件ゴルフ場を含めた下仁田町における総合リゾート開発構想についても具体化させることとし、同年三月ころには、本件開発用地に隣接する場所にスキー場や別荘地を開発する計画の検討をハウフルスに依頼し、その後、同年七月六日に開催されたメイプルクィーン株主説明会等の場において、ゴルフ場を一次計画、人工スキー場、テーマパーク、別荘地等を二次計画とする総合リゾート開発の構想を公にした。さらに、被告人Aは、会員権販売価格の高額化を企図し、同年四月ころ、ハウフルスに対し、会員権販売総額を約五〇〇億円とする会員権販売計画の検討を指示し、同年七月ころには、会員権販売総額を六〇〇億円とする計画の立案を指示するなどした。

その結果、事業計画自体が事前構想書当時のものから大幅な変容を遂げることとなり、同年五月段階では、総事業費一八八億ないし二一四億円、会員権販売総額四〇二億円、会員数一一〇〇名、同年夏ころには、総事業費二四五億円余り、会員権販売総額六〇五億ないし六一六億円、会員数八〇〇ないし一〇〇〇名となっていた。

3  本件融資等の当時の事業計画

そして、平成三年八月当時の事業計画では、総事業費が約二五五億円と拡大する一方、会員権販売については、会員数六〇〇ないし七〇〇名程度、会員権販売総額四二〇億ないし五〇〇億円を計画していたことがうかがわれる。

六  ゴルフ場会員権相場の状況

首都圏におけるゴルフ会員権の平均相場は、昭和六二年から翌六三年にかけてと平成元年から翌二年にかけて急騰し、同年二月にピーク(一口当たりの平均価格約三六九九万円)を迎えたが、その後は急落して、平成三年末の平均価格は約一七一三万円とピーク時の半値にまで下がり、本件融資等の当時も下落基調が続いていて、反騰する気配は見受けられないとの指摘もある状況であった。

群馬県内のゴルフ場についても、変動率こそ首都圏ほど大きくはないが、同様の下落基調をたどり、平成三年八月当時の平均価格は約一三二五万六〇〇〇円であり、本件開発用地近辺のゴルフ場の平成四年八月当時の会員権相場は一五〇〇万ないし二〇〇〇万円程度であった。

なお、本件ゴルフ場に隣接する下仁田カントリークラブ(平成二年一〇月開業)では、一次募集(一口一〇〇〇万円、三〇〇名)、二次募集(一口二〇〇〇万円、三〇〇名)を開業までに完売したものの、開業時に予定していた一口三〇〇〇万円、三〇〇名の第三次募集は、周辺相場の下落に照らし募集を中止している。

七  JHLによる甲野リゾートグループに対する融資等の経緯、状況等

1  JHLが甲野リゾートに融資するに至った経緯

被告人Aは、本件ゴルフ場開発事業の立ち上げ資金を、前認定のとおり、花子が所有する不動産を担保として銀行や街金から借り入れるなどして賄っていたが、開発事業を継続するには金融機関の本格的支援が必要になることから、プリモ等と取引のあった株式会社住友銀行芝公園支店との間で右開発事業への融資の可否について交渉を行った。しかし、会員権の販売条件等で折り合いが付かなかったため、平成元年初めころ同支店からの資金調達を断念し、その後は太郎と共に新たな金融機関を探し始めた。

太郎、花子が当時の興銀会長池浦喜三郎の妻と親しかったこともあり、花子の自宅建築資金や太郎のマンション購入資金等についてDを窓口としてJHLから融資を受けており、その後も時折Dに個人的な相談を持ち掛けるような関係にあったことから、同年二月ころ、本件ゴルフ場の開発事業資金の融資をJHLに依頼することを思い立ち、Dに対してその旨申し入れた。

Dは、それまでゴルフ場開発事業に対する融資案件を手掛けたことがなかったものの、当時、JHLではローン開発部を中心に新しい事業ローンの分野に積極的に取り組み営業拡大を図っていた時期でもあったことなどから、太郎からの申入れを受けて、右開発事業に前向きに取り組もうと考え、Cの了承を得た上、同月末ころ、当時のローン開発部長であった駒田正名(以下「駒田」という。)に右開発事業に対する融資の可否を検討させるとともに、JHLの審査部に対し右開発事業の審査を依頼させた。

その後、駒田が被告人両名と面談するなどして事業内容について調査する一方、JHL審査部でも、被告人Aや佐々木、若林らと面接調査するなどして同年五月二六日付けで審査報告書をまとめ上げた(以下「元年度審査報告書」という。)が、同報告書によると、審査の結果として、①甲野リゾートグループにゴルフ場開発の経験や経営ノウハウがないこと、②本件開発用地の造成に多大な費用が掛かること、③ごみ処理場や火葬場の移転費用等の公共負担が大きいこと、④一口最高二九〇〇万円、販売総額二四九億円という甲野リゾート開発側の設定する会員権販売価格は周辺相場に比して高めに設定されているために容易に会員募集ができない可能性があることなどの問題点を指摘する一方、①地元の協力が期待できること、②花子を看板として利用し得ることなどの積極要因も合わせ考えれば、一口最高二〇〇〇万円で一〇五〇人という会員権販売を前提とすれば、今次計画の成功が予想され、計画の趣旨には首肯し得るものがあるとされていた。

Dは、同年七月初めころ、ローン開発部として右開発事業への融資に前向きに取り組むことについてCの了承を得た上、同月一一日開催のJHL役員協議会に右開発事業案件を諮ったが、その際、駒田が甲野リゾート開発側から聴取した事業計画等について説明し、山内正弘審査部長が審査結果を報告した後、質疑応答を経て、JHLとして右開発事業に前向きに取り組んでいく方針が基本的に了承された。

さらに、同年九月下旬ころ、Dは、駒田を介し被告人両名から、群馬県に提出する必要があるとして、八〇億円を限度とする融資証明書の発行を要請されたことから、同月二六日開催の役員協議会で了承を受けた上、翌二七日付けでJHLから甲野リゾート開発に対する八〇億円の融資証明書が発行された。

2  JHLの甲野リゾート開発及びメイプルクィーンに対する融資状況

被告人両名は、平成元年六月末ころ以降、Dや駒田に対し、本件ゴルフ場開発事業のための融資を早急に開始するように申し入れたが、Dや駒田は、甲野リゾート開発の事業主体としてのもろさを懸念し、当時計画されていたゴルフ場運営会社の設立を融資開始の条件と位置付けて、融資の実行を先延ばしにしていた。

その後、同年九月ころまでに、メイプルクィーンの設立方針が具体化されたことから、D及び駒田は、甲野リゾート開発に対する本件ゴルフ場開発資金の融資を始めることとし、合わせて、甲野リゾート開発が街金等から受けていた高利の借入金についても、JHLからの融資金で返済させて金利負担を軽減させておいた方が良いと考え、その借換え資金も融資する方針を決めた。

その後、JHLは、甲野リゾート開発ないしメイプルクィーンに対し、本件融資等に先立ち、同年一〇月から平成三年六月末までの間に、前後一七回にわたり、総額一〇一億四二〇〇万円の融資または債務保証(青木建設又は池田ファイナンスからの融資に対するもの)(以下両者を合わせて「融資等」という。)を実施していた。

3  融資等の申込み及び貸出禀議等の状況

(一) 甲野リゾート開発及びメイプルクィーンからの融資等の申込みの状況

甲野リゾートグループでは、資金が必要になる都度、被告人Aの指示で被告人Bが資金使途の科目や金額を記載したメモを作成し、被告人Aの了解を得た上、JHLの直接の担当者(平成元年一〇月から平成二年一二月までは田中真、平成三年一月から平成四年五月までは北原俊秀(以下「北原」という。))や平成元年一二月ローン開発部長に就任したEと面会して事業の進捗状況を説明するとともに、所定事項を記載したメモを交付して融資等の申込みをしていた。

(二) JHLにおける貸出禀議等の状況

ローン開発部では、一般に、融資等の申込みを受けると、ローン開発部名義で借入申込速報、法人用チェックリスト、会社要項、担保査定報告書等の資料を作成し、担当役員であるDの承認を経た後、業務推進部を通じて役員協議会に付議し、その承認が得られれば、社長以下の役員の決裁を経て貸出しを行う扱いとされており、甲野リゾート開発側からの融資等の申込みについても基本的には同様であった。

もっとも、役員協議会における協議には、多数の案件と共に一括して簡潔に協議するいわゆる一括協議と、案件ごとに個別に協議するいわゆる個別協議とがあり、業務推進部長がその振り分けを行っていたが、甲野リゾート開発及びメイプルクィーンに関しては、平成元年一〇月から平成三年六月末まで一七回に及ぶ前記融資等のすべてについて一括協議案件として処理されていた。

4  本件ゴルフ場開発事業の進捗予定の変遷状況等

甲野リゾート開発側が融資等の申込みの際にJHLに提出した事業計画書によると、本件ゴルフ場開発事業の進捗予定について、①平成元年一〇月の融資申込みの際は、同月末事前協議終了、直ちに本申請、同年一二月本許可取得、平成四年一二月開業予定とされていたが、②平成二年八月末の保証申込みの際には、同年一〇月中旬本許可取得、同年一一月造成工事着工、平成五年九月開業予定となり、さらに、③平成三年六月末の融資申込みの際には、既に最終段階の本申請を準備中であり、同年七、八月本許可取得、約三年後開業を目標とするとされるなど、時期を追うごとに許認可取得及び開業の予定が延び延びとなっていた。

ところが、JHLは、右開発事業やその前提となる許認可手続の進捗予定の実現性等について十分な調査や確認をすることなく、被告人両名からの許認可取得時期や会員権販売見込みに関する説明を鵜呑みにして融資等の判断を行っていた。

5  甲野リゾート開発及びメイプルクィーンからの担保等の差し入れ状況

平成二年初めころまでの融資については、甲野リゾート開発側が花子やリバーハウスの所有する不動産を担保として差し入れていたが、同年六月の融資の段階で、融資比率(当該物件の被担保債権のうち当該債権者の有する債権及びこれと同順位又は先順位の他の債権の合計額を当該物件の担保査定価額で割った数値)が約一〇三%となり、担保余力が失われるに至った。

その後、同年一〇月ころには、買収済みの本件開発用地等が追加担保として組み入れられはしたものの、融資比率の高い状態が続いたことから、平成三年以降担当するようになった北原は、Eの同意を得て、甲野リゾート開発側に担保の追加を要求した。その結果、同年三月及び四月の融資の際には、用地買収の際に地権者から抱き合わせとして取得した不動産が、また、同年六月及び七月の融資の際には、太郎から買い取った不動産がそれぞれ追加担保とされたが、いずれも融資等の規模と比べれば微々たるものであり、右最後の融資の際には、融資比率が約一四七%にも達しており、それ以降追加担保が差し入れられることはなかった。

しかも、JHLでは、甲野リゾート開発側から差し入れられた不動産担保のほとんどについて抵当権設定登記を留保していたばかりでなく、遅くとも平成二年八月の債務保証のころからは、Eの指示により水増し査定すら行うようになった。特に、本件開発用地については、未買収物件まで担保査定価額に組み入れていた上、対象地の権利証等の管理すら徹底しておらず、担保としての実効性を欠くものであった。

なお、JHLの融資等については、被告人A個人も債務保証していたが、被告人Aには特段の資産がなく、JHLに対する保証債務を履行する能力はなかった。

6  被告人Aらによる融資金等の流用とJHLの資金使途管理状況

(一) 被告人Aらによる融資金等の流用状況

被告人Aらは、平成二年初めころ、二次計画の一環として、自己の趣味でもあった盆栽を基調とするテーマパーク(以下「盆栽美術館」という。)の建設を企図し、その準備としてあらかじめ盆栽や掛け軸等の美術品、盆栽美術館の庭園で泳がせる鯉等を購入しておこうと考え、そのころから、融資金等の一部を盆栽等の購入費用に充てるようになった。そして、平成三年七月末段階で、盆栽、美術品及び鯉の購入費用に充てられた融資金等の総額は、判明している限りでも約七億三六〇〇万円に及んでいた。

また、被告人Aらは、平成二年春以降、用地買収の際に地権者に支払う裏金や領収書のない盆栽等の購入費用、街金への返済原資等を捻出する目的で、融資金等の一部を株取引に投資するようになり、平成三年七月末段階で株取引に投資された融資金等の総額は一八億一九〇〇万円余りに及んでいた。

(二) JHLによる融資金等の使途管理状況

JHLでは、平成元年一〇月の融資開始当初から、厳密な使途管理を行ったり、事後的な使途調査を行うことはせず、買収済みの本件開発用地の権利証等を預かったり、融資等の実行後に被告人Bらから融資金等の使途について口頭で報告を受ける程度で済ませており、そのような状況は平成三年六月ころまで続いた。

7  平成三年六月ないし七月ころにおけるJHLの状況

(一) JHLの資金繰りの悪化と會田の副社長就任

JHLでは、平成二年三月の大蔵省通達による不動産向け融資の総量規制等の影響により、同年暮れ以降、都市銀行等からの新規資金の借入に困難を来すとともに、融資先の中小不動産業者にも返済を延滞する者が出始めるなどして資金繰りが悪化したことから、同年一〇月ころからは、事業者に対する直貸しを純増ゼロに抑える方針を採るなどして対応していた。

そして、平成三年六月には、当時興銀の営業八部等を担当する常務取締役であった會田が、JHLを再建すべくCの後任社長の含みでJHLの副社長に就任したが、會田は、新規貸付けの原則禁止による経営のスリム化の方針を打ち出すなどして貸出し抑制を進め、同年一〇月に業務企画室、同年一一月には再建検討委員会をそれぞれ設置するなどして、大口融資先の調査や再建計画の立案を実施させた。また、同年一二月には、事業者向けの事業融資の新規貸出しを原則禁止するとともに、やむを得ない貸出しについても全件常務会決裁とするなど経営の建て直しを図った。

(二) 本件開発用地の鑑定申請

こうした状況の中で、Eは、甲野リゾートグループに対する融資比率が他の融資案件に比べ突出していることに懸念を抱いて、前認定のように、同年六月末に追加担保を要求したほか、本件開発用地の担保価値について、国土利用計画法上の標準価格を基準に約一一億三六〇〇万円と査定していたものを、本許可を取得した場合の商品価値を含め再評価して査定価額を引き上げることを思い付き、Dの了解を得た上、同月二八日、審査部に対し、右観点からの鑑定の実施を依頼した。審査部では、被告人両名から事情聴取をするなどして検討した結果、当時の市況の動向、会員権相場の下落傾向、本件開発用地の立地条件等に照らすと、甲野リゾート開発の事業計画を鑑定評価の基礎とするのは妥当でないとの判断に基づき、本件開発用地に一般個人向けの中堅コースを建設した場合を想定して、本件開発用地の担保価額を三七億五〇〇〇万円余りと査定し、同年一一月二〇日付けでその趣旨に沿った鑑定報告書(以下「三年度鑑定報告書」という。)を作成した。

(三) 甲野リゾート開発に対する資金計画提出等の指示

さらに、Eは、JHLにおける貸出し抑制の情勢を受けて、甲野リゾートグループへの融資金額を絞り込む必要があると判断し、同年七月初めころ、北原を通じて、被告人両名に対し、同月以降三か月間の資金計画を提出するよう求めるとともに、必要な資金額をできるだけ圧縮するよう指示した。その後、被告人Bが提出した計画をEと北原が更に圧縮した結果、許認可取得までの費用として今後三か月間で約二五億円の資金が必要であるとの資金計画がまとめられた。その後、Eは、これをDに伝えた上、ローン開発部として右三か月分の融資に応ずる方針を決定した。

(四) 同年七月の融資の状況

同月上旬ころ、被告人Bは、北原に対し、同月中か遅くとも翌八月中には用地買収を完了し、同年九月本申請、同年一〇月本許可取得とする見込みを伝えた上、ごみ処理場の移転費用や権利変更に伴う地元対策費、日栄土木や青木建設に支払う設計費、金利等の使途に充てる名目で八億六二〇〇万円の融資申込みをした。

北原からその報告を受けたEは、Dに融資実行の了承を求め、Dもこれを了承した。その後、右融資申込みは同月二三日の役員協議会に付議されたが、會田の要望により個別協議されることになった。

役員協議会では、會田や壇野統一副社長(委員会か「壇野」という。)から、法人用チェックリストに記載されている「会員総数七〇〇人、会員権販売総額四八〇億円、平均販売価格六八六〇万円」という会員権販売計画について、販売価格が高過ぎるのではないかと指摘されたが、DやEは、会員権販売には興銀グループの協力があるから大丈夫などと返答し、最終的には融資する方向で協議がまとまり、貸出稟議書による決裁を経て、翌二四日、JHLから甲野リゾート開発に対する第一三回目(同会社に対する債務保証二件並びにメイプルクィーンに対する融資二件及び債務保証一件を通算すると第一八回目)となる八億六二〇〇万円の融資が実行された。

八  本件融資等の状況

1  本件公訴事実一の1記載の融資の状況

平成三年八月中旬ころ、被告人Bは、北原に対し、本件開発用地の買収状況について、未買収用地の最終的価格交渉を行っており、九月までに完了のめどがほぼ立ったなどと伝えた上、ごみ処理場の移転費用、最後の用地買収費用、金利や一般管理費に充てる名目で九億三五〇〇万円の融資申込みをした。

Eは、前記七の7(三)認定の資金計画の一部としてやむを得ないと考え、従来どおり、事業の進捗見込み等について特に確認を取らないまま融資申込みに応ずることを決め、Dに報告してその了承を得た。その後、右融資案件は、同月二七日開催の役員協議会に一括協議案件として付議され、同協議会の了承を経て、貸出稟議書による決裁を受け、翌二八日に甲野リゾート開発に対する九億三五〇〇万円の融資が実行されたが、この時点における融資比率は約一六五%に達していた。

なお、被告人両名は、右融資金のうち少なくとも約一億二〇〇〇万円を盆栽や美術品、鯉等の購入費用に充て、六四〇万円余りを株取引費用に充てている。

2  本件公訴事実一の2及び3記載の各融資の状況

同年九月上旬ころ、被告人Bは、北原に対し、本件開発用地の買収状況や許認可取得の見込みについて、買収対象地一五六口のうち未買収は一四口で、このうち一〇口は手続の一部未了にすぎず、交渉中は残り四口であり、買収完了は石井の所有する土地(以下「石井所有地」という。)を除き同年九月中をめどとしている、なお、石井所有地の買収は不可能となったため、コース変更の再申請を同年一〇月ないし一一月に行い、本許可を年内に取得する予定であるなどと伝えた上、リバーハウスとプリモに対する業務委託費、設計変更等に際し生じた建設設計費、金利や一般管理費等に充てる名目で六億六〇〇〇万円の融資申込みをした。

Eは、前回と同様に、用地買収の進捗状況等について特段の確認や調査もしないまま融資に応ずることを決め、そのころ、Dに報告してその了承を得た。その後、右融資案件は、同月二五日開催の役員協議会に、ローン開発部側の意向で個別協議案件として付議された。同協議会では、會田や壇野から改めて会員権販売価格についての見直しの必要性が指摘されたが、最終的には了承を得て、貸出稟議書による決裁を受けた上、同月二六日に三億二五〇〇万円、同年一〇月一一日に三億三五〇〇万円の二回に分けて甲野リゾート開発に対する各融資が実行され、融資比率は約一七二%に達した。

そして、Eは、右各融資の実行によって前記七の7(三)認定の資金計画に相応する金額の融資を終えたことから、本申請前に必要な資金はないと判断して、そのころ、北原を通じて、被告人両名に対し、今後しばらくの間融資はできない旨通告した。

なお、被告人両名は、右融資金にそれまで受けていた融資金等の残額を合わせた中から少なくとも約二億三二〇〇万円を盆栽や美術品、鯉等の購入費用に充てたほか、約三億五五〇〇万円を盆栽の管理場所の用地購入代金等の本件ゴルフ場開発事業と直接関係のない使途に費消している。

3  本件公訴事実二記載の債務保証の経緯及び状況

甲野リゾート開発では、右2認定の各融資を受けた後も、用地買収が予定どおりに進まなかった上、平成三年一一月以降のJHLへの利息の支払を考慮すると年末までに資金不足の生ずることが予想されたため、被告人Aは、同月ころ、被告人Bに指示して追加融資を要請させるとともに、自らもローン開発部あてに「願い書」と題する書面を提出して、利息の支払猶予及び三億円の追加融資を申し入れた。これに対し、Eは、既に本申請までに必要とされた資金の融資を終えたことに加え、JHLの資金事情が更に厳しくなっていたこともあって、被告人両名からの要請を拒否し、北原も、被告人Bに、今回の融資申込みには応じられない旨回答した。

そこで、被告人Aは、青木建設の若林に対し三億円程度の融資を要請した。若林は、JHLの連帯保証を条件に融資に応じようと考え、植良の了承を得た上、Eからも、同年一二月初めころ、JHLによる保証について前向きの返答を得て、被告人両名と協議した結果、JHLによる連帯保証、本申請後の融資実行等を条件として、青木建設が甲野リゾート開発に三億円を融資する方向で話がまとまり、同月一二日、青木建設内部の決裁を得た。なお、被告人両名は、若林に対し、翌年一月までに買収完了、その後直ちに本申請予定であるが、用地買収費や業務委託費、許認可費用等として三億八八〇〇万円余り不足するなどと説明していた。

他方、JHLでも、北原が、Eの指示で、被告人Bから本申請準備の進捗状況や青木建設からの融資金の使途確認などする一方、Eが、被告人Bと折衝して、甲野リゾート開発に対し、同会社等の延滞利息二億二〇〇〇万円に一般管理費一〇〇〇万円を加えた二億三〇〇〇万円の融資を行うことで合意した。そこで、Eは、右連帯保証及び新規融資についてDの了承を得た後、平成四年一月一四日開催の役員協議会に付議した。なお、その際用意された法人用チェックリストには、用地買収完了という虚偽内容の記載があるほか、会員権販売計画として、法人向け総額四八〇億円の計画に加えて、一般向け総額二五〇億円の計画も併記され、最終案は将来の検討課題とされている。また、本件開発用地の査定価額として三年度鑑定報告書の評価額が採用されたが、それでも融資比率は約一三九%に及んでいた。同協議会では個別協議されたが、債務保証と利払いのための融資であり、JHLからの現実の出金がほとんどないこともあって、いずれも承認されて貸出稟議書による決裁を受けている。そして、前認定のとおり、甲野リゾート開発が本申請書を群馬県に提出したことから、同月二七日にJHLの連帯保証により青木建設から甲野リゾート開発に対する三億円の融資が実行されたほか、同月三一日にはJHLから甲野リゾート開発に対する二億三〇〇〇万円の融資も実行されている(現実の振込金額は一一〇〇万円余り)。

なお、被告人両名は、右融資金のうち少なくとも約六四〇〇万円を盆栽や美術品、鯉等の購入費用に充て、約三三六〇万円を株取引の資金に充てたほか、約五八〇〇万円を被告人Bの自宅購入費用に充てている。

九  本件融資等実行後の状況

1  JHLからの融資の中断

甲野リゾート開発が平成三年一二月二〇日下仁田町を通じて提出した本申請書は、前認定のとおり、用地買収未了等を理由に、県側に受理されなかったため、甲野リゾート開発は間もなく事業資金に窮することとなった。そこで、被告人両名は、平成四年四月ころ、Eに対し、用地買収資金等として三億九五〇〇万円の融資を申し込み、この融資案件は、同月二一日開催の役員協議会で個別協議に付され、その際、Eが融資の理由を説明したが、會田や壇野から、用地買収は既に終わったはずであるなどとして前回の説明との矛盾点を指摘され、融資の承認は得られなかった。

これを受けて、Dが、被告人Aに対し、融資できなくなった旨通告したことから、その後は、被告人Aが街金や親戚等から借り入れるなどして資金を捻出し、買収未了の地権者との交渉を継続するなどして、前認定のとおり、平成四年六月九日に最後の地権者との契約を締結して用地取得を一応完了し、翌一〇日に県による本申請書の受理にこぎ着けた。

2  JHLからの融資の再開

その後、ローン開発部は、平成四年六月一二日ころ、審査部に本件ゴルフ場開発事業の採算性の検討を依頼したところ、審査部は、同年八月四日付けで、現状では事業計画に経済的妥当性は認められない、損切りして企画売りを進めるとしても問題点が多い旨の審査報告書(以下「四年度審査報告書」という。)をまとめた。

そこで、当時のJHL常務取締役の森山道壯及びローン開発部の川村雅彦は、右開発事業について企画売りも含めて検討することとし、許認可取得までに必要な最低限の融資を甲野リゾート開発側に行う方針を決め、同年一〇月ころ、被告人Aに対し、今後は企画売りも視野に入れて検討するよう伝えた上、同月二九日以降、厳格な使途管理の下に、甲野リゾート開発への融資を再開した。

3  融資再開後の状況

甲野リゾート開発からの本申請が受理された後も、保安林の指定解除やそれに伴う農地転用許可申請の時期の検討等に時間を要し、平成五年五月一三日になって、ようやく県知事から本許可が出た。その後、被告人Aは、JHLからの制止を無視して、平成六年一月ころに工事着工届を県側に提出したが、資金を調達することができず、着工には至らなかった。そのため、本開発用地は現在も未開発のまま放置された状態にある。

また、平成七年六月以降、JHLは、青木建設との間で、同会社に対する保証債務の履行等を条件として、本件ゴルフ場開発プロジェクトを同会社が設立する子会社に一時的に譲渡して、その譲渡代金で甲野リゾート開発側の借入金の一部回収を図るとともに、JHLが右開発事業の最終的な引き取り先を探すことなどで合意し、この合意に基づき、同年九月一八日、JHLが青木建設に対し本件公訴事実二記載の連帯保証債務を履行するなどしたが、その後、バブル崩壊と不動産市況の低迷により住専各社の不動産業者に対する巨額の融資が不良債権化したといういわゆる住専問題が顕在化したことから、この譲渡計画は実現に至らなかった。

4  本件融資等がJHLに与えた損害

以上のとおり、本件ゴルフ場開発事業が失敗に終わったため、JHLは、本件起訴分に限っても、平成三年八月二八日から同年一〇月一一日までに甲野リゾート開発に融資した合計一五億九五〇〇万円の貸付金債権及び平成七年九月一八日に青木建設に履行した保証債務三億円の求償債権をいずれも回収することができなかった。そして、これらの債権は、遅延損害金等も合わせて、JHLの解散後である平成八年一〇月一日に住管機構に譲渡されたが、現在に至るまで回収されておらず、回収のめども立っていない。

第四  当裁判所の判断

一  本件ゴルフ場開発事業の採算性について

1  問題の所在

甲野リゾート開発がJHLに差し入れていた担保には、本件融資等の当時既に担保余力がなかったこと、甲野リゾートグループ各社及び被告人両名に融資金等を返済するだけの資力がなかったことは、いずれも関係各証拠から明白であり、被告人両名はいずれも、捜査段階から、これを認める趣旨の供述をしている。

一方、関係各証拠によれば、本件ゴルフ場の会員権販売収入により賄うべき所要資金としては、本件融資等の当時、融資金等(平成三年八月の融資の段階で一一〇億円余り)及びその利息はもとより、用地買収費や設計費の未払分、ゴルフ場(コース及びクラブハウス)建設工事費、ごみ処理場移転費用、創業費等といったその後支出が予定される事業費(同月下旬ころの段階で二三〇億円余りの見積り)に加え、甲野リゾートグループの一般管理費や業務委託費(年間約六億円)、火葬場移転費用、本件ゴルフ場開発事業に関し太郎への支払を要する解決金(同年四月の段階で五〇億円と合意)があって、その合計額は少なくとも四〇〇億円程度に上ると見込まれ、それ以外にも開業後の収支を補うための運用に用いる余剰金が必要であったと認められるのであり、被告人Aも、当公判廷において、おおむね右のような資金が必要であることを認める趣旨の供述をしている。

そこで以上の点を前提に、まず、本件融資等の当時、本件開発用地に四〇〇億円を超える会員権販売収入を上げられるような高級ゴルフ場を実現することが客観的に可能であったかについて検討し、次いで、当時の会員権相場等の状況に照らすと、そうした会員権販売収入達成のためには、本件ゴルフ場の会員権販売について興銀の支援協力が不可欠であったと考えられるから、会員権販売について興銀グループの協力が期待できるような状況にあったかどうかについて検討を加えることとする。

2  本件開発用地でのポーレット図面に即した高級ゴルフ場の実現可能性

(一) 検察官の主張

検察官は、①本件開発用地はゴルフ場に適さない地勢であり、県側の規制等も考慮すれば、コース設計に無理のある低品質なゴルフ場しか造成できず、高額な会員権の販売など当初からおぼつかなかった上、②本件融資等の時点になると、石井所有地の取得が不可能になっていたことや、移動土工量の規制に関して県側が厳しい姿勢をとっていたことなどから、被告人両名が主張するようなポーレット図面に即したゴルフ場の建設などおよそ実現不可能であった旨主張する。

(二) 本件開発用地の高級ゴルフ場用地としての適格性

(1) そこでまず、検察官の右①の主張について検討すると、関係各証拠によれば、確かに、検察官指摘のとおり、本件開発用地は、ほとんどが起伏の激しい岩山と深い谷で占められ、高低差が大きく、地質も良くない上、人家にも近接しているなど、地勢的条件に恵まれていないことが認められる。また、前認定のとおり、群馬県では、ゴルフ場造成時の移動土工量が二三〇万立米程度に制限されており、その制限の緩和についても事前協議等を通じて県側から厳しい姿勢を示されていたことなどからも、本件開発用地においてポーレット図面にあるようなアップダウンの少ない平坦なゴルフ場を造成することが客観的に容易でなかったことは明らかである。

(2) しかしながら、前認定事実に関係各証拠を総合すると、ゴルフ場の設計等について実績を有する日栄土木が、現地調査の結果、ゴルフ場の造成を可能と判断して設計業務等を受注し、また、ゴルフ場の建設について実績を有する青木建設も、費用さえかければゴルフ場造成が可能と判断して工事の受注に努め、当初から本件ゴルフ場開発事業に積極的に参画していること、米国の著名な設計家で、我が国でも高級とされるコースの設計を手掛けたこともあるポーレットも、本件開発用地を調査した上、良いコースができるとして設計業務を引き受けて図面を書き上げていること、日栄土木及び青木建設共に、県側から移動土工量の規制について指摘を受けた後も、本件開発用地でのゴルフ場開発をあきらめず、後に認定するとおり、ポーレット図面にできるだけ近いゴルフ場を造成しようと努めていること、本件開発用地に近接して下仁田カントリークラブがあるが、同ゴルフ場の敷地も、造成前は本件開発用地と似た地形の土地であったのに、後にみるとおり、造成工事の段階で七〇〇万立米もの土量を動かし、アップダウンの少ない平坦なゴルフ場を実現していることが認められるのである。しかも、被告人Aは、後出のメイプルクィーンカントリークラブ作業部会(以下「作業部会」という。)の席上で、単なる平坦なゴルフ場ではなく、本件開発用地の自然の地形を生かした名コースを目指す旨の発言をしていることも考慮すると、そのようなコースの実現性を一概に否定し去ることは難しく、検察官の右①の主張にはにわかに左袒し難い。

(3) この点、下仁田カントリークラブの設計者である倉上俊治(以下「倉上」という。)は、当公判廷において、おおむね検察官の主張に沿った趣旨の証言をするが、同証言によっても、同証人自身、下仁田カントリークラブでは、造成工事の施工段階で七〇〇万立米もの土量を動かして平坦なコースを実現したことを認めているばかりか、本件開発用地には二、三回行っただけで、詳しい調査をしたわけではなく、実際にポーレット図面に基づいたゴルフ場の造成が可能かどうかについては検討していないというのであるから、右証言のみから、本件開発用地では低品質のゴルフ場しかできないと認定することは困難である。

(三) 本件開発用地でのポーレット図面に即したゴルフ場建設の実現可能性

(1) 次に、検察官の前記②の主張についてみるに、まず、被告人両名はいずれも、捜査段階から一貫して、ポーレット図面どおりのゴルフ場を完成させるつもりであった旨供述し、日栄土木の佐々木及び青木建設の若林も、ポーレット図面にできる限り近いコースを造成するよう努力するつもりであった旨それぞれ証言している。

しかも、関係各証拠によれば、被告人Aが本コースの設計者としてポーレットを選定した平成元年暮れころ以降、日栄土木及び青木建設がポーレット図面に即したゴルフ場の建設に異を唱えた形跡はうかがえないほか、青木建設はポーレット社と甲野リゾート開発との契約内容について要望を出すなどし、日栄土木もポーレットが計画図面を作成するに際して群馬県側の規制の内容について助言するなどしていたと認められることからすれば、日栄土木及び青木建設は共にポーレット図面の作成当初から同図面に基づくゴルフ場の建設を了承していたものとうかがわれる。そして、現に平成二年秋ころまでにポーレットによる設計図が作られていること、日栄土木がポーレットのプランニングに基づく造成計画平面図を作成したり、許認可取得用に作成した図面とポーレット図面との対照図面を作成したりし、また、青木建設も、平成四年三月にはポーレット図面を前提にゴルフ場造成工事の見積もりを行っていること、平成二年半ばの作業部会や平成四年以降のメイプルクィーン、日栄土木及び青木建設三者間の打合せの場において、ポーレット図面に即した造成を意識した打合せが行われていたことは、いずれも関係各証拠から明らかである。

右にみたような関係者の各供述及び関係業者の関与の状況等に照らせば、平成二年ころ以降、被告人両名を含む本件ゴルフ場開発関係者がポーレット図面を基本としたゴルフ場を建設することで意見の一致をみて、本件融資等の前後を通じその実現に向けて開発事業を進行させていたことが認められる。

(2) しかしながら、本件融資等の当時には、次のとおり、本件開発用地にポーレット図面に即した高級ゴルフ場を建設することを妨げるような事情が少なからずあったことも明らかである。すなわち、

ア まず、関係各証拠によれば、ポーレット図面に即したゴルフ場を建設するには、二三〇万立米程度という群馬県の規制値を大幅に上回る七〇〇万ないし八〇〇万立米もの土量の移動が必要になる上、同図面は、移動土工量以外にも、コース間林帯、残置森林率等の面で県の規制を遵守したものではなかったことが認められるのであって、前認定のとおり、移動土工量等の規制緩和について事前協議を通じて非常に厳しい態度を示し、日栄土木の作成した許認可図面どおりの施工を再三確認するなどしていた県側において、ポーレット図面に即したゴルフ場造成のための変更申請を直ちに容認するなどということは想定し難いところである。

イ また、前認定のとおり、平成三年六月の時点ではポーレット図面において非常に重要な位置を占める石井所有地がいまだに取得できておらず、被告人Aも石井所有地を開発予定地から除外して本申請を行わざるを得ない旨判断していたところ、石井所有地が買収できないとポーレット図面に即したゴルフ場の実現に重大な支障となることは明らかである。しかも、関係各証拠によれば、本件開発用地の近くに火葬場があり、クラブハウスへの進入道路予定地付近に位置するだけでなく、ゴルフ場の景観や排煙の関係で問題となることが予想されたのに、本件融資等の時点では何ら具体的な移動計画が立てられていなかったことが認められることなども合わせみれば、本件融資等の時点において被告人両名が計画していたような高級なゴルフ場を建設することは物理的に極めて困難であったといわなければならない。

ウ さらに、前認定のような本件開発用地の地勢からすれば、同用地にポーレット図面に即した平坦なゴルフ場を造成するには多額の費用を要することが明らかである上、同用地の近くに人家や鉄道があるため大規模な防災工事が必要となること、ごみ処理場や火葬場の移転にも多額の費用がかかることなど、被告人両名も認める諸処の問題が存在したのである。しかも、前認定のとおり、ゴルフ場会員権相場は平成二年二月をピークとして急落して、本件融資等の当時も下落基調が続き、反騰する気配は見受けられないとの指摘もあったこと、後に認定するとおり、本件融資等の当時には興銀グループによる会員権販売への協力も期待できない状況であったことも合わせ考慮すれば、その当時において、本件開発用地にポーレット図面に即したような高級なゴルフ場を建設することは、採算面からも極めて困難な状況にあったというべきである。

(3) 以上のように、右(2)で認定したような諸事情に照らすと、本件融資等の当時において、本件開発用地にポーレット図面に即した高級なゴルフ場を建設することは事実上不可能になっていたものと認められるのである。

3  興銀グループによる会員権販売への協力の可能性

(一) 問題の所在

検察官は、興銀が本件ゴルフ場の会員権販売への協力を約束したことはなかったし、本件融資等の時点では、興銀による会員権販売への協力など全く期待できない状態にあったなどと主張し、弁護人は、興銀グループ(興銀及びその関連会社)及びその取引先企業は本件ゴルフ場開発事業に積極的に参画し、本件融資等の当時もその支援の姿勢は一貫して堅持されていたのであって、会員権販売に対する興銀の協力は十分に期待できる状況にあった旨主張しているので、以下、興銀グループの右開発事業に対する関与の状況を認定した上、本件融資等の当時において、興銀グループによる会員権販売への協力を期待できるような状況であったかどうかについて検討する。

(二) 作業部会開催当時までの本件ゴルフ場開発事業への興銀の関与の状況等

(1) まず、関係各証拠によれば、作業部会開催当時までの本件ゴルフ場開発事業に対する興銀グループの関与の状況は、次のようなものであったと認められる。

ア メイプルクィーン設立までの興銀グループの関与の状況

(ア) JHL側から興銀グループに対する出資等の要請

平成元年二月ころ、Dから甲野リゾート開発への融資の検討を指示された駒田は、被告人両名との面談調査等を行い、その結果、被告人Aの経営者としての素質や甲野リゾート開発の運営力に疑問を感じたが、当時、JHLの母体行であった興銀の傘下に本格的なゴルフ場がなく、興銀内部でも接待等のためゴルフ場を保有すべきとの意見もあった事情を考慮して、興銀グループに働き掛け、興銀グループが出資する会社を設立して、その主導の下に開発を進めていけば、甲野リゾート開発の経験の乏しさなどの問題は解決できると考え、Dにもその旨具申した。

Dは、その後、元年度審査報告書や同年七月一一日の役員協議会の場においても、甲野リゾート開発の経験の乏しさや経営体制の弱さについて指摘を受けるなどしたことから、駒田の意見を了承して、被告人Aが設立を計画していたゴルフ場運営会社(後のメイプルクィーン)に対する出資を興銀の関連会社や取引先企業に要請するほか、興銀に対しても資金援助を含めた本件ゴルフ場開発事業への支援を求めることにした。

そこで、駒田は、興銀におけるJHLへの融資担当窓口である営業八部の部長であった日下部健(以下「日下部」という。)を訪れ、資金面の援助を求めたほか、興銀関連事業室の室長であった望月伸彦(以下「望月」という。)を訪問し、ゴルフ場運営会社への興銀グループによる出資の可否を問い合わせた。なお、関連事業室は、昭和六三年一一月ころ、関連会社等からの各種相談に応じてその業務を支援するほか、関連会社のビジネスチャンスを探ることを目的として設立された興銀業務部の部外室であり、望月が初代の室長を務めていた。右訪問の結果、日下部からは興銀の直接の資金協力を断られたが、望月からは、計画が未確定な段階は興銀の名前を外すことを条件に、できるだけ協力する旨の返答が得られた。

その後、平成元年九月ころまでの間に、ゴルフ場運営会社の正式名称がメイプルクィーンに決定されるとともに、被告人A、太郎、Dらの間で、メイプルクィーンへの出資比率について、甲野リゾート開発関係が七割、当時既に正式に出資を決定していた青木建設を含むJHL関係が三割と定められたことを受けて、駒田は、JHL側の出資分のうち半分程度を興銀の関連会社や取引先企業に引き受けてもらうこととし、望月の了承を得た上、同年一〇月初めころから、興銀の関連会社を直接訪問してメイプルクィーンへの出資を要請したほか、興銀営業部に対しても、興銀の取引先企業への出資依頼を要請した。

また、同年暮れころまでの間に、Dが望月を訪問し、メイプルクィーンへの出資を含め右開発事業についての興銀グループの協力を依頼したのに対し、望月は、できることがあればお手伝いする旨返答した。

(イ) 興銀の関連会社の出資に対する望月の姿勢

望月は、本件ゴルフ場開発事業が成功すれば、興銀の関連会社のビジネスチャンスにもなるとして、関連事業室としてメイプルクィーンに対する関連会社の出資に協力する方針を決め、関連事業室担当の常務取締役であった西村正雄(以下「西村」という。)にJHLからの協力要請について報告したほか、平成元年暮れころ開催の関連会社との定例会の席上、関連会社側の出席者からメイプルクィーンへの出資の是非について尋ねられた際にも、各社が判断すべき事項だが、関連事業室としても否定的には考えておらず、出資しても差し支えないなどと返答した。

また、望月は、駒田から、メイプルクィーンへの出資先に映画会社やレコード会社等の花子に縁故のある会社を含めたいとする甲野リゾート開発側の希望を聞かされた際、興銀の取引先と芸能関係の会社とはなじまないなどとしてこれに難色を示し、結果としてこれらの会社は出資会社から除外された。

(ウ) メイプルクィーン設立説明会

その後、平成二年二月ころまでに、興銀の関連会社五社及び取引先企業二社によるメイプルクィーンへの出資が内定し、同月一一日にJHLの会議室で開催されたメイプルクィーン設立説明会には、被告人両名らに加え、JHLからD、Eらが、関連事業室から望月が出席したほか、興銀の右関連会社五社や取引先企業二社からも部長クラス等が出席した。

なお、右説明会の後に、望月は、関連会社の情報連絡を目的として興銀各部の副部長や営業八部長らが出席した会合の席で、本件ゴルフ場開発プロジェクトの内容、設立説明会の開催、関連会社の出資の意向等について報告を行っている。

(エ) メイプルクィーンの設立状況

同年六月一日にメイプルクィーンが設立され、発行済株式総数二〇〇〇株(額面一株五万円)のうち、甲野リゾート開発側が合計一四〇〇株、JHLが二〇〇株、青木建設が一〇〇株、興銀の前記関連会社及び取引企業が合計三〇〇株をそれぞれ引き受け、メイプルクィーンの取締役には、被告人Aのほか、Dの紹介で当時甲野リゾート開発の相談役をしていた興銀OBの愛澤尚太郎(以下「愛澤」という。)及びDが就任した。

イ メイプルクィーン設立後の興銀の関与の状況

(ア) Dによる會田常務の訪問

平成二年六月一一日、Dは、当時興銀営業八部担当の常務取締役であった會田を訪れ、本件ゴルフ場開発事業への協調融資を含めた興銀の全面的支援を依頼したが、會田からは、ゴルフ場開発の難しさを指摘され、慎重に取り組んだ方がいいなどと忠告されただけで、具体的返答は得られなかった。

(イ) 望月らの本件開発用地の視察

同月一二日ころ、望月及び当時の関連事業室副参事役で望月の指示により甲野リゾート開発案件の担当となった清水高志(以下「清水」という。)は、Eからの誘いに応じて、被告人A、愛澤、Eらと共に本件開発用地を視察したが、これに先立ち、被告人Aの要望で下仁田町役場を訪れ、小井土撥太郎町長(以下「小井土町長」という。)とも面会している。

(ウ) メイプルクィーン株主説明会

同年七月六日、メイプルクィーンの会議室で、メイプルクィーン株主説明会が開催され、青木建設の植良、小井土町長らに加え、望月ら興銀関係者も出席した。

(エ) 作業部会の開催

同月一九日以降、メイプルクィーン、JHL及び関連事業室の三者間で、本件ゴルフ場開発事業の事業計画や本件ゴルフ場の運営構想を検討する場として、作業部会がメイプルクィーン会議室で開催されるようになり、メイプルクィーン側からは被告人両名及び愛澤が、JHLからはDないしEが、関連事業室からは望月ないし清水がそれぞれ参加した。なお、望月は、作業部会への参加に当たって西村の了承を得ている。

作業部会では、被告人Aから用地買収状況やごみ処理場移転問題等の開発事業の進捗状況や許認可取得の予定が報告されたほか、メイプルクィーン側で作成した資金計画等をたたき台にして、人工スキー場、テーマパーク、別荘地等の二次計画の位置付けや、会員権販売総額、会員権価格、法人会員と個人会員との比率、会員権販売体制や販売方法、クラブの組織やゴルフ場の理事長の人選等の様々な事項について議論が交わされたが、とりわけ、二次計画の扱い、会員権販売総額を六〇〇億円余りとするゴルフ場収支計画の適否、会員権販売対象に関する法人個人比率の問題等については、被告人Aの意見と関連事業室の意見とが鋭く対立した。

このうち二次計画について、被告人Aは、早期に具体化させれば会員権価格を高く設定することが可能になるなどと主張したが、関連事業室は、二次計画を掲げること自体に否定的であった。収支計画についても、被告人Aが、会員権価格を高くして相当額の余剰金を確保し、その運用益で利用料金を安くするなどしてメンバーに還元したいと主張したが、関連事業室は、六〇〇億円もの販売収入の必要性や利用料金の在り方に疑問を呈するなどとして強く反対した。さらに、法人個人比率については、関連事業室が、法人中心の高級ゴルフ場とするために個人の比率を一割程度に抑えるべきであると主張したのに対し、被告人Aは、入会資格審査を行うことにより個人会員を三割程度にすべきであるなどと難色を示して、いずれも折り合いがつかなかった。

(オ) 興銀プロジェクト検討会の開催

同年九月二六日、興銀グループが協力してプロジェクトを遂行しグループ全体の収益増強を図る目的で関連事業室主催によりプロジェクト検討会が初めて開催され、JHLからDが出席したほか、興銀の他の関連会社八社からも取締役ないし部長クラスの代表者が出席し、興銀からは望月、清水のほか、西村も出席した。同会では、関連会社が現に扱っているプロジェクトや取引先から持ち込まれているプロジェクトが披露されたが、本件ゴルフ場開発事業もその一つとして紹介された。

なお、興銀プロジェクト検討会は同年一一月二二日ころに第二回が開催されたが、その後は開催されていない。

(カ) C及びDによる合田副頭取の訪問

同年一〇月一二日ころ、C及びDが当時の興銀副頭取であった合田辰郎(以下「合田」という。)を訪れ、本件ゴルフ場開発事業への協力を依頼した上、ゴルフ場の理事長候補者として興銀の元役員に就任してもらいたいなどと要請したが、合田からは、建設のめどが立った段階までは話にならないなどと言われて、当面の協力は拒否され、その後も協力を約束するような返答は得られなかった。

(2)ア 以上認定の事実経過を前提として、まず、作業部会開催当時における本件ゴルフ場開発事業への関連事業室の取組姿勢についてみるに、関係各証拠によれば、作業部会において、望月が、「身内だから、そういう気持ちでいるわけですよね。Aさんもお嫌でなければ、どうか興銀グループの身内になったつもりで今後の事業をやっていただきたい。」などと発言し(第四回)、また、清水が、「興銀のリーダーシップと言いますかね。興銀グループが会員の募集等をお手伝いするわけです。」、「例えば、興銀グループが売りますということになれば、一応その社会的な信用は当然あるわけですし、いわば間違えなかろうっていうそういうことは当然考えると思うんですよね。一方で、我々が売るっていう立場からみますと、やはり、これだけの世間が見てる以上、我々としては変な売り方はできませんね。(中略)やはり完成度、きっちりしたものでまあやりたいというのが、銀行屋の趣旨であるんですよね。」(第三回)、「これを例えば売るときにね、その我々今考えているのは、興銀の取引先を中心にまあ、売りたい。」、「興銀という名においてですね、販売していくと、(中略)やっぱり、法人色の強いゴルフ場ということで考えたらですよね。」、「やっぱり興銀が作るゴルフ場、…どうしても興銀が主になってやるとね。」(第六回)、「ハウジングローンさんが我々の興銀の方にみえまして、正式に依頼がありました。こちらの方も特に異論がなくてですね、事業を従来どおり進めていただきたい。(中略)今、頭取にも話をしてございます。全く異論はなくしておりますんで、公式的に決定したわけではないんですけどもね。(中略)引き続き推進をお願いしたい。」(第七回)、「完売できるかどうか、グループとしては初めてやることで、ここは万難を排してでも売れますという念書は書けませんが、とにかく売ります。」、「会員権販売を…興銀を含めて、グループ各社のどこかにやらせたい。」、「(興銀の中村金夫会長を本件ゴルフ場の理事長にすることについて)一応発起人代表として引き受けていただけるかどうか聞いてみます。聞いてみて、理事長でいいよということになれば、発起人代表としてお願いしてみます。」(第一〇回)などと発言したことが認められる。

イ 右のような発言をした趣旨について、望月及び清水は共に、捜査段階からほぼ一貫して、プロジェクトが順調にいき、関連事業室の意見を尊重して法人会員を主体としたゴルフ場が出来上がった場合を仮定した話であって、将来の会員権販売について協力を約束したものではない旨説明しており、確かに、前認定のとおり、作業部会における関連事業室と被告人Aとの意見は、ゴルフ場の収支計画や法人個人比率等といった基本的事項についてすら折り合いが付かず、開発事業もいまだ本申請を出せるような状況になかった以上、関連事業室として将来の会員権販売への協力を無条件に約束できるような段階でなかったことは明らかである。

ウ しかし、右にみたような望月及び清水の作業部会における発言の内容や姿勢、特に、本件ゴルフ場の会員の個人比率を抑えることに強いこだわりをみせていたことなどからすれば、関連事業室の立場は、望月らが述べるような採算面等についてのJHLに対する助言者(アドバイザー)にとどまるものとは到底認め難く、望月自身、興銀の親しい取引先を紹介する方法で会員権販売に協力するつもりは十分持っていた、会員権の販売代理を興銀の関連会社にやってもらうという考えもあったなどと供述し、また、清水も、採算性に望みが持てれば、関連事業室の努力で何とか本件事業計画を軌道に乗せ、興銀グループにとってのビジネスチャンスに結び付けたいと思っていたなどと供述するとおり、少なくとも作業部会開催当時は、関連事業室としても、本件ゴルフ場開発事業がJHLのみならず他の興銀の関連会社のビジネスチャンスにもなるとの判断に基づき、事業計画が順調に進み、会員権を販売することが可能になれば、興銀の取引先企業等を活用して会員権の販売に協力することも視野に入れつつ、右開発事業に積極的に関与していたものと認めることができる。

(3)ア 次に、右のような関連事業室の姿勢が興銀ないし興銀グループ内における組織的な意思決定に基づくものかどうかについてみることとする。

イ まず、前認定のとおり、興銀グループ各社によるメイプルクィーンへの出資及び関連事業室の作業部会等への出席を除いては、興銀グループが本件ゴルフ場開発事業に直接に関与をした形跡はなく、興銀グループ内において右開発事業が公式に取り上げられたのは、前記プロジェクト検討会程度であったと認められるところ、右検討会においても、案件の紹介以上に具体的議論がされた形跡はない。

また、興銀グループ各社のメイプルクィーンへの出資規模は、前認定事実からもうかがえるようにそれぞれ株式総数の二、三%にとどまっており、これら関連会社がそれ以上に右開発事業に積極的に関与していたことをうかがわせる証拠もない。

さらに、前認定のとおり、CやDから右開発事業への協力を要請された合田及び會田はいずれも、興銀の協力を事実上拒否している上、後に認定するとおり、平成四年一月ころ、Dらにおいて、右開発事業が興銀との共同プロジェクトであったとして興銀に資金協力等を要請した際には、興銀側は、共同事業であったことを明確に否定した上、協力要請に対しても事実上拒否しているのである。

加えて、前認定のとおり、望月らの作業部会への出席については上司である西村の承諾を受けてはいたものの、それ以上に、望月らが興銀の上層部や興銀の関連会社に対して作業部会の検討結果等を詳細に報告していたり、望月や清水が興銀による会員権販売への協力の準備として営業部や興銀の関連会社に具体的な打診をしたことをうかがわせる証拠は存在しないし、その他、右開発事業を組織的に支援していくことが興銀ないし興銀グループ内において既定の方針となっていたことをうかがわせるような証拠も見当たらないのである。

ウ そうすると、前認定のとおり、望月らは関連事業室として本件ゴルフ場開発事業に積極的に関与してはいたものの、こうした関与について興銀ないし興銀グループ内で組織的な意思統一が図られた形跡はなく、したがって、組織的な意思決定に基づくものではなかったと認められるのである。

(三) 本件融資等の当時における本件ゴルフ場開発事業への興銀の関与の状況等

(1) 平成三年二月以降の興銀側と甲野リゾート開発ないしJHLとの接触状況

ア 第一一回作業部会の開催の有無

弁護人は、同年四月ころ第一一回作業部会が開催された旨主張するところ、この点については、第二九回公判に、Dが同年四月以降にもEから作業部会に関する報告を受けた記憶がある旨証言したことに始まり、その後、E、被告人B及び被告人Aが相次いで、同年四月ころに一一回目に当たる作業部会が開催され、関連事業室からは清水も参加しており、その際、被告人Aがマスターズ見学の報告をしたほか、キャディーを使わないカートシステムについて議論したなどと供述するようになり、愛澤も、これに沿うような供述をしている。

しかしながら、望月及び清水はいずれも、捜査段階から一貫して、同年二月一日開催の第一〇回作業部会を最後に作業部会への出席を取りやめた旨供述している。また、甲野リゾート開発側では、第二回から第四回まで及び第六回から第一〇回までの各作業部会の状況を毎回録音していた(なお、第五回作業部会の録音テープは証拠として提出されていないが、関係各証拠によれば、その際も録音されていたことがうかがわれる。)のに、第一一回については録音テープが存在しないほか、第一回から毎回必ず作成されていた作業部会報告書も第一一回について作成されないまま製本されていること、作業部会は第一〇回までほぼ一か月に一回ないし二回のペースで開催されていたのに、その後Dらが供述する第一一回までには二か月以上もの間隔が開くことは関係各証拠から明らかであって、これらの客観的事実は、作業部会が一〇回で打ち切られたことを強くうかがわせるものである。

しかも、被告人両名並びにD及びEはいずれも、捜査段階はもとより第二九回公判に至るまでの法廷供述でも、第一一回作業部会に言及せず、第一〇回を最後に作業部会が開かれなくなったと供述していたのに、Dの右証言を契機として突如続々と供述を変更しているが、このような供述の変遷状況自体極めて不自然であるし、こうした各供述変遷の理由や第一一回作業部会について録音テープや作業部会報告書が作成されていない理由について納得のいく説明をしていないのである。

そうすると、第一一回作業部会が開催されたとする右各供述はいずれも信用することが困難であるから、作業部会は同年二月一日の第一〇回を最後に打ち切られ、第一一回作業部会は結局開催されなかったものと認めるのが相当である。

イ 興銀側と甲野リゾート開発ないしJHLとのその余の接触状況

そこで、右第一一回作業部会の開催がなかったことを前提として、平成三年二月以降の興銀側と甲野リゾート開発ないしJHLとの接触状況についてみるに、関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

(ア) 被告人Bからの作業部会再開の要請と清水の拒絶

同月中旬以降、被告人Bが清水に対し次回の作業部会の日程調整のために電話をしたが、清水は望月と相談の上で日程を入れることを断った。その後、同年四月ころまでの間、被告人Bは、少なくとも二度にわたり清水に電話を入れ、作業部会の再開を申し入れたが、清水はこれも拒絶した。

(イ) 望月の異動と藤井の着任

望月は、同年四月中旬に興銀の取引先会社に転出し、その後二か月ほどは業務部長である天野明彦(以下「天野」という。)が関連事業室長を兼務していたが、同年六月末ころ、関連事業室が関連事業部に組織変更された上、藤井健夫(以下「藤井」という。)が初代の部長として着任した。しかし、望月は、転出に際し、後任者である天野や藤井に対して業務の引継ぎをしなかったし、関連事業室に残った清水も、本件ゴルフ場の件については天野及び藤井に対して何らの説明をしなかった。

(ウ) メイプルクィーン定時株主総会

同年八月ころ、メイプルクィーンの株主総会が開催された。なお、興銀の関連会社五社及び取引先企業二社はいずれも、平成六年一一月七日に甲野リゾート開発に対して株式を売却するまで、メイプルクィーンの株主の地位にとどまっていた。

(エ) Dから藤井に対する問い合わせ

平成四年一月初めころ、Dが、藤井に電話をして、「下仁田町のゴルフ場の件はもうすぐ許可が下りるところまで来た。興銀は協力をしてやってくれると言っていたけれども、どうなっているんだ。」と尋ねた。藤井は、本案件についてはほとんど知識がなかったことから、清水に事情を聞くとともに、興銀がJHLに対して何らかの義務(オブリゲーション)を負っているのか確認したところ、清水からは、助言者として関与しただけで、JHL側に対し義務を負うようなことはしていない旨の説明を受けた。さらに、同月二〇日ころ、DとEが関連事業部を訪れ、藤井に対し、本件ゴルフ場開発事業は興銀との共同プロジェクトだったという趣旨の話をした上、改めて協力を要請した。これを受けて、藤井は、望月と日下部にも事情を聞いたところ、いずれからも、右開発事業が興銀のプロジェクトであるとの認識はなく、興銀がJHLに対し義務を負うようなことはないという返答を得た。

そこで、同月二七日ころ、藤井は、清水と共にJHLを訪ねてDとEに面談し、興銀には共同プロジェクトという認識はなかった旨回答するとともに、今後は営業八部を窓口とすることを伝えたが、その際、Dは、相当気色ばんで、そんなはずはないなどと文句を言った。

その後、同年二月一四日ころに、DとEが営業八部の梅津興三部長らを訪ねて、用地買収もほぼ終わり、四月には工事着工も予定している、会員権販売等について、興銀のどの部署と相談すればいいかご教示いただきたいなどと述べて、右開発事業に対する興銀側の協力を求めたが、梅津らは、内部的に詰めさせてもらうなどと述べて回答を留保し、その後も具体的な回答をしなかった。

(2) 作業部会中止の理由及び本件融資等の当時の関連事業室の姿勢

ア 望月の供述の要旨

この点に関する望月の供述は、おおむね次のようなものである。すなわち、平成二年暮れころ、作業部会に出席していた清水から、「許認可の見通しがなかなか難しい状況だし、自分が良かれと思って助言しているのになかなかAサイドの理想と折り合わず、同じことを繰り返しても役に立たないので、この辺で役目を降りる方向で検討したい。」との具申があった、当時、被告人Aからは、平成三年二月に許認可が取れる見通しだという説明もあり、その結果を見てから関連事業室としての結論を出そうという話をしたと思う、第一〇回作業部会の後、被告人Bから清水に次回作業部会の日程調整のための電話があったが、その際、同月中の許認可取得に失敗したことを知らされ、清水から、この辺りで降りる旨伝えていいかとの確認があった、許認可取得の見込みが不透明となり、もはや作業部会を続けても意味がないし、自分の異動の動きも感じ取っていたため、取り合えずその段階で一度けじめを付けて、作業部会への出席はやめ、役目を降ろさせてもらおうと考え、清水の意見を了承し、「失礼のないようにお断りしておいてくれ。」と指示した、自分も、同年三月ころにDを訪ね、許認可の見通しが立っていないこと、被告人Aとのコンセプトが違いすぎること、自分が興銀の外に異動になりそうであることを理由に、助言者としての役目を降ろさせてもらうと伝えた、もっとも、自分としては採算性が悪いから出席を取りやめたというまでの意識はない、というのである。

イ 清水の供述の要旨

一方、清水の供述は、おおむね次のようなものである。すなわち、平成二年暮れころ以降、工事着工時期の遅れに加え、当時の会員権相場の下落状況、JHLの資金繰り状況の悪化に照らし、平成三年二月までに許認可が取得できなければ本件ゴルフ場開発事業の経済性は極めて悪化すると考え、望月との間で、同月までに許認可のめどが立たなければ関連事業室としては関与をやめようという話をしていた、平成二年暮れころ、Eに対しても、平成三年二月までに許認可を取れないときは関連事業室としてもプロジェクトへの関与を考え直すことがあるかもしれない旨伝えた、同月中旬ころ、被告人Bから次回作業部会の日程調整のための連絡があったが、その際、被告人Bから、許認可取得に必要な森林審議会への諮問が二月中にできなかったこと、石井所有地の問題も未解決であることを聞かされた、そこで、もはやプロジェクトとして推進していくのは非常に難しいし、それまでの作業部会でも被告人Aとのコンセプトの違いが終始埋らなかったことから、右開発事業への関与を取りやめにしようと考え、望月の了承を受けた上、そのころ、被告人Bに対し、「石井所有地の問題が解決しない以上は、作業部会を続けても意味がない。」と伝えて作業部会の開催を断った、その後も被告人Bから再開の要請があったが、「作業部会をやるなら自分たちを抜きにしてやってほしい。」旨伝えて拒絶した、また、Eに対しても、同年三月ころ、「二月中に許認可が得られなかったので、プロジェクトの実現性はかなり難しくなってきた。作業部会を開いても意味がないのではないか。」という趣旨の話をした、その後同年末までの間、JHL関係者や甲野リゾート開発側から自分あての連絡は一度もなかった、というのである。

ウ 望月及び清水の各供述の信用性

望月及び清水の右各供述を対比すると、本件ゴルフ場開発事業の採算性に対する認識の程度については開きがみられるものの、作業部会への出席を取りやめるまでの経緯に関する供述内容はおおむね符合している。もっとも、同人らの供述には、興銀関連事業室が右開発事業に関与するに至った経緯やその後の関与姿勢、とりわけ作業部会における同人らの発言内容やその趣旨について、興銀の関与の程度をできるだけ薄くしようと殊更に控え目であいまいな表現をしたとみられる部分のあることも否定できないし、望月の供述は、平成三年二月当時における右開発事業の採算性に関する認識という重要部分について少なからず変遷している。

しかしながら、望月及び清水の右各供述のうち、作業部会当初から関連事業室と被告人Aとの意見が多くの点で食い違っており、第一〇回作業部会でも議論の一致をみなかったとする部分や、平成二年暮れ以降に関連事業室が事業計画や許認可取得の遅れを問題視し、特に着工時期との関係から平成三年二月の本申請を一つの最終期限としてとらえ、作業部会でもこの点を強調していたとする部分等については、関連事業室作成の資料や作業部会報告書及び録音テープの反訳書等の客観的証拠によって十分に裏付けられている。しかも、前記(1)認定の事実経過に照らすと、遅くとも望月が異動した同年四月中旬ころまでには、関連事業室として、作業部会への参加中止ばかりでなく、将来における会員権販売への協力を見据えた積極的な協力も取りやめる旨決定していたことが強くうかがえるのである。

したがって、望月及び清水の右各供述は、一部に信用し難い部分はあるものの、同年二月中旬ころに関連事業室として作業部会への参加を中止して右開発事業への積極的な関与を取りやめたとする限度では、十分に信用できるというべきである。

エ 弁護人の主張について

この点、弁護人は、作業部会がいったん休止されたのは、当面そこで検討すべき事柄が出尽くして開催の必要性が薄らいだからにすぎず、許認可取得の日程が具体化した段階で再開されることになっており、その後結局再開されなかったのは、平成三年夏以降、関連事業室が興銀の絡む詐欺、背任等の刑事事件の渦中にあり、表立った動きができなかったためであるなどと主張し、被告人両名やEも、右主張に沿う趣旨の供述をしている。

しかし、前に認定したとおり、第一〇回作業部会の状況をみても、被告人両名と関連事業室との間で会員権販売計画や二次計画の取扱い等の多くの重要事項について意見が全く食い違っており、作業部会開催の必要性が薄らいだような状況になかったことは明らかである。ちなみに、被告人両名が、同年六月以降、石井所有地を除外した本申請やカートシステム採用の当否など本来作業部会で行うべき重要事項の検討を関連事業室を抜きにして行っていることは、関係各証拠から認められる。

また、確かに、関係各証拠によれば、同年夏ころ、関連事業室は右刑事事件の処理に追われる状況にあったことがうかがわれるが、前認定のとおり、関連事業室の責任者である望月が異動するというのに、後任の天野や藤井あるいは興銀でJHLを担当する営業八部に対しても本件ゴルフ場開発事業について何らの引継ぎや報告も行われなかったというのであるから、関連事業室はもはや作業部会の再開を前提とするような態度になかったものといわざるを得ない。

このような当時の状況に照らすと、被告人両名及びEの右各供述は、当時の状況に沿わない不自然なものというほかなく、そのまま信用することは困難であって、弁護人の右主張は採用できない。

(四) そうすると、本件ゴルフ場の会員権販売への協力は、興銀ないし興銀グループ全体の組織的な意思決定に基づくことなく、専ら関連事業室の主導で進められてきたものであるところ、平成三年二月中旬以降は、関連事業室自体が作業部会への出席を取りやめ、本件ゴルフ場開発事業への関与を消極化させたと認められるのであって、被告人両名の認識はともかく、客観的には、本件融資等の時点において、もはや興銀グループによる会員権販売が期待できるような状況になかったことは明らかというべきである。

4  本件ゴルフ場開発事業の採算性に関する結論

以上要するに、本件融資等の時点においては、本件開発用地にポーレット図面に即した高級なゴルフ場を建設することは、客観的にみて極めて困難な状況に陥っていた上、会員権販売について興銀グループによる積極的な協力を期待できる状況にもなかったと認められるのであるから、本件融資等の時点までに本件ゴルフ場開発事業の採算性が失われていたことが優に認められるのである。

二  被告人Aらによる融資金等の無断流用とJHL側の認識について

1  DないしEによる盆栽等の購入についての事前了承の有無

(一) 次に、被告人Aらによる融資金等の無断流用とJHL側の認識についてみるに、被告人Aが融資金等の一部を盆栽、美術品及び鯉の購入費用や株取引への投資に費消していたことは、前認定のとおりである、そして、弁護人は、この点、融資金等の無断流用に当たらない旨主張し、被告人Aは、捜査及び公判段階を通じて、平成二年初めころ、DないしEから、融資金等の一割以内程度であれば、総合リゾート開発構想の二次計画に関し事業効率的に先行投資すべきものについては支出することの了承を得ていたし、株取引への投資は、JHL側も当然知っていたはずであり、了承しているものと思っていたなどと弁護人の右主張に沿う供述をし、被告人Bも、公判段階ではほぼ同旨の供述をしている。

(二)(1) しかしながら、D及びEはいずれも、捜査段階から一貫して、融資金等の流用を承諾したことはない旨明確に供述しているほか、北原も、融資金等の一部を二次計画のために先行投資するという話は聞いたことがない旨証言し、被告人Bも、捜査段階では、右(一)掲記のような供述をすることなく、被告人Aに対しては高価な盆栽等の購入は控えるように諌めていたなどと供述しているのである。しかも、本件ゴルフ場開発事業の事業規模からすると、融資金等の一割とはいえ最終的には相当巨額な金額に膨らむことが容易に予想できたはずであるから、銀行員として長年のキャリアを有するD及びEが、二次計画の採算性等について検討することもなく同計画への先行投資を了承するなどということは到底考え難いし、そのような重大な事項を口頭で了承するというのも通常あり得ない事柄である。

(2) また、被告人Aが、前認定のように、メイプルクィーン株主説明会や作業部会の席上等において総合リゾート構想に固執する姿勢を示しており、関係各証拠によれば、二次計画の一部として温泉調査等の準備作業に着手することをJHL側に明らかにしていたことが認められるものの、D及びEがそれ以外の二次計画について資金面で積極的に支援していくような発言をした形跡は全く見当たらない。

しかも、JHLに対する融資等の申込みの際には、その都度、融資金等の使途が個別的に明示されていたが、JHLからの融資等の全期間を通じて、被告人両名が融資金等の一部を盆栽等の購入に充てる旨明らかにして融資等を申し込んだことは一度もなく、JHLから融資金等の使途について調査を受けるまで、被告人両名がJHLに対し融資金等を盆栽等の購入に充てたことを右温泉調査費用の点を除いて事前にも事後にも報告していなかったことは、被告人両名が自認するところである。また、関係各証拠によれば、被告人両名が融資金等を甲野リゾート開発から関連会社へ貸付金という名目で移動するなど偽装工作を施した上で盆栽等の購入に充てていたことが認められ、さらに、後に認定するとおり、平成三年九月ころ、D及びEが被告人Aらを呼び出して盆栽等の購入につき注意していることなどに照らすと、二次計画に先行投資することについてDやEから了承を受けていたとする被告人両名の右各供述は到底信用することができず、被告人Aは、融資金等の一部を盆栽等の購入に無断流用していたものと認められるのである。

(3) 他方、株取引への投資も、前認定のとおり、同年七月末の段階で総額約一八億二〇〇〇万円もの巨額に上るところ、関係各証拠によれば、盆栽等の購入と同様、被告人両名が、甲野リゾート開発からリバーハウスへ資金移動するなど偽装工作を施した上、リバーハウス名義や被告人A個人名義で株取引を行いながら、JHLから確認されるまでは株取引に費消した額について事後にも報告していないことが認められ、後に認定するとおり、同年九月ころ、Dが被告人Aに対し株取引についても注意を与えていることに照らせば、Eらが平成二年当時既に被告人Aによる株取引の一部を察知していたかどうかはともかくとして、かかる巨額の株取引について、JHL側が一般的な了承を与えていたとは到底認められない。

(4) 結局、被告人Aらによる盆栽等の購入及び株取引への投資はいずれも、JHL側の了承を受けることなくされた融資金等の無断流用に当たると認められる。

2  融資金等の流用をJHL側が認識した時期

(一) また、右融資金等の流用をJHL側が認識した時期に関して、北原は、おおむね次のような供述をしている。すなわち、田中からの引継ぎ資料を検討した結果、甲野リゾートグループ内の資金の流れが不自然であるとの印象を抱き、平成三年五月ころ、被告人Bから関連会社の財務諸表類を取り寄せて調査した、その結果、JHLから甲野リゾート開発への融資金が外部に流れているのではないかとの不信感をもったことから、Eにも報告した上、使途調査を始めることになった、その後、同年六月ころにかけて、被告人Bから科目明細等の資料を提出させ検討したところ、JHLから甲野リゾート開発への融資金が他のグループ会社や被告人A個人に流れていることを突き止めた、そこで、被告人Bに事情を問い質したところ、「Aが一時的に株に運用している、詳しいことはAに聞いてくれ」と言われたので、Eに報告した。Eは、「そうなんだよな。株に使っているらしいんだ。けしからんな。」などと言っていた、同年八月か九月ころ、被告人Aから、盆栽財団云々の話を聞いたので、Eに報告すると、Eは、「盆栽なんかやっている場合ではない。」などと言っていた、その後、同年九月ころ、Eが被告人Aを呼んで注意するという話をしていた、というのである。

(二) そして、北原の右供述は、捜査段階から公判段階までほぼ一貫している上、内容的にも、前任者の田中を引き継いだ後のJHL側担当者という立場に照らし、自然かつ合理的なもので、あえて元上司であるDやEに不利な虚偽の供述をすべき事情も存在しないほか、被告人Bに財務諸表類の提出を求めた状況や甲野リゾートグループ内の資金移動を確認した状況については、被告人Bの捜査及び公判段階の供述によって、融資金等の使途調査を行ったことについては、「メイプルクィーンG・PJ計画実績表」や三年度鑑定書添付の資料によっていずれも客観的に裏付けられている。さらに、捜査段階では、D及びEも、北原の右供述に符合する供述をするとともに、Dは、北原供述にあるような事実経過の概略を随時Cにも報告していたと述べているのであって、以上総合すれば、北原の調査等によって、遅くとも同年六月ころまでに甲野リゾート開発に対する融資金等の一部の株取引等への流用が、同年夏ころまでに盆栽等の購入への流用がそれぞれ明らかとなり、Cらも、部下からの報告等によって右各流用の事実を知るに至って、同年九月ころ、Dが被告人Aらに対し融資金等の流用について注意を行ったことが認められるのである。

(三) これに対し、当公判廷において、Eは、甲野リゾート開発側の資金流用について不信感を持ったのは同年九月末が一〇月ころであり、同年一一月か一二月ころに盆栽等への流用が分かってDに報告した、被告人Aらを呼び出して注意したのは同年一二月ころである旨供述し、Dは、同年一一月末から一二月初めころ、Eから、甲野リゾート開発側が融資金の一部を盆栽等の購入等に充てているようだとの報告を受け、同年一二月中旬ころに被告人Aと愛澤をJHLに呼び出した、捜査段階での供述は、検察庁の待合室で北原と会った際、同人から聞いた話に合わせたものである旨供述している。

しかしながら、前判示のとおり、同年六月から同年九月ころにかけて北原が甲野リゾート開発側の盆栽等や株取引への融資金等の流用事実を調査して確認していた事実は動かし難く、その段階で北原が上司であるEに対し報告を行わないなどとは到底考え難い上、被告人両名も、捜査段階において、株や盆栽の件でDやEから被告人AがJHLに呼び出されたのは、同年八月ないし九月ころであった旨供述しており、関係各証拠によれば、被告人Aらが同年九月ころから保有株の売却を行うなどして株取引の規模を縮小し始めたと認められる。さらに、北原は、捜査段階にはDと取調べの内容について話をした記憶はない旨明確に証言していることに照らしても、D及びEの右各公判供述はいずれも信用することが困難である。

三  Cらに対する特別背任罪の成否について

以上認定した事実関係を基に、被告人両名に対する特別背任罪の成否を検討する前提として、同罪の身分を有するCらについて同罪の成立する余地があるかどうかについて検討しておくこととする。

1  本件融資等がJHLに財産上の損害を加えるものであったこと

まず、本件融資等の加害性についてみるに、本件ゴルフ場開発事業に対する融資金等の返済原資は会員権販売収入に限られていたところ、本件融資等の当時には、本件開発用地にポーレット図面に即した高級なゴルフ場を建設することが事実上不可能となっており、しかも、会員権販売について興銀グループによる積極的な協力を期待できる状況もなく、客観的にみて右開発事業の採算性が失われていたことは、前に認定したとおりである。したがって、その当時、甲野リゾートグループに融資等をしてもその返済の見込みのない状況にあったと認められるから、本件融資等はそれぞれその実行時点において、JHLに対し融資金等相当額の財産上の損害を加えるものであったと認められる。

2  Cらが本件融資等の加害性を認識かつ認容していたこと

(一) 次に、本件融資等の加害性に対するCらの認識等についてみるに、Cらにおいて、平成二年六月の融資以降、甲野リゾート開発等に対する融資等が担保割れの状態に陥っており、甲野リゾートグループや被告人両名にはJHLに対する融資金等を返済するに足りる資力がなく、結局のところ、融資金等の返済原資は将来行われる本件ゴルフ場会員権販売の収入によらざるを得ないものであると認識していたことは、同人らの供述ばかりでなく稟議資料等の客観的証拠によっても明らかである。

(二) そこで、右事実を前提に、Cらの本件ゴルフ場開発事業の採算性に関する認識についてみるに、ゴルフ場開発事業は、経験則に照らし、成功すれば巨額の利益を生むものの、開発の着手からゴルフ場の完成に至るまでの間、行政上の許認可取得や用地買収の失敗等により常にとん挫の危険をはらむものと認められるところ、前認定のCらの経歴や一連の供述内容に照らすと、同人らはいずれも、長年のキャリアを有する銀行員として、ゴルフ場開発事業のこのような特徴ないし危険性を当然に認識していたものと認められる。そして、許認可の取得が当初の予定から大幅に遅れていたばかりでなく、本件開発用地の重要な位置を占める石井所有地をどうしても取得できず、これを除外した計画に変更して本申請せざるを得なくなったという、前認定のような本件融資等の当時の状況に加え、Cらにおいても、作業部会等での被告人両名からの説明、一連の融資等の稟議、部下からの報告等を通じて、これらの事情を十分認識していたものと認められるから、Cらがその当時に本件ゴルフ場の実現可能性について疑問を抱くに至っていたことは明らかである。

また、本件ゴルフ場の会員権を甲野リゾート開発側が意図するような高額で販売することの可否についても、前認定の事実経過に照らすと、少なくともDらは、望月や清水だけでなく、會田や合田といった興銀上層部とも直接接触して、興銀の姿勢につき相応の理解をしていたと認められるのであって、前認定のとおり、第一〇回を最後に作業部会が中断されたことを受けて、頼みの綱であった関連事業室さえ消極的な態度に転換したことを当然認識していたものと推認することができる。

そして、前認定のとおり、Eが、平成三年六月ころに、被告人両名に対し、追加担保を要求するとともに、審査部に対し、本件開発用地の担保査定において、査定価額を引き上げるために本許可取得後の商品価値を含めて再評価するよう依頼していること、平成四年一月の債務保証の際に、Eが、興銀グループによる会員権販売への協力を考慮に入れていない三年度鑑定報告書をそのまま稟議の資料として採用するとともに、その稟議の際の法人用チェックリストには、平成二年五月末の融資以降慣例となっていた「本件事業は、当社及び興銀グループの協力体制により推進中」という趣旨の記載を取りやめ、会員権販売計画として「一般向け、二五〇億〜」と記載させていることは、いずれも右推認を裏付けるものである。

さらに、Cにおいても、Dらからの報告により、事の詳細はともかく、右開発事業計画の採算性について懸念を抱くに至っていたことがうかがわれるのである。

加えて、Cらは、その各供述内容等に照らし、平成元年一〇月から平成三年八月の本件融資等の開始前までに、既に甲野リゾート開発等に合計一一〇億四〇〇万円もの融資等をしていたのに、本件融資等の当時も、用地買収すら完了せず、会員権販売の前提となる許認可取得時期も定かでなかったという右開発事業の進捗状況はもとより、平成二年春以降下落基調で推移していたゴルフ会員権相場についても認識していたものと認められるから、これらを総合すれば、Cらにおいて、本件融資等の当時、会員権販売収入によって右開発事業に必要な資金を得ることが困難な状況に陥ったとの認識を有していたことは明らかというべきである。

(三) しかも、D及びEは共に、捜査段階において、会員権相場の下落や本件ゴルフ場開発事業の進捗状況等からして、本件融資等の当時は既に融資金等の回収にも懸念があった旨供述しているところ、右各供述は、前認定のような当時の客観的情勢に照らし、自然かつ合理的で信用性が高いといえる。そして、これら各供述も合わせみれば、本件融資等の当時、Cらにおいて、本件融資等を実行しても融資金等を回収できなくなる可能性が高いことを認識していたことは明らかであるから、本件融資等を実行した場合、それがJHLに財産上の損害を加えるものであることについても未必的にせよ認識かつ認容していたものと優に認められるのである。

3  本件融資等はCらがその任務に違背して実行したものであること

(一) さらに、本件融資等の任務違背性についてみるに、Cらのように、金融機関において融資等の審査、実行等の業務を統括する者は、検察官主張のとおり、融資等に当たり、あらかじめ融資先等の営業状態、資産、資金使途等を精査するとともに、確実かつ十分な担保を徴するなどして融資金等の回収に万全の措置を講ずる任務を有すると解されるところ、前判示のとおり、ゴルフ場開発事業は、完成に至るまで常にとん挫の危険をはらみ、融資金等の返済の原資となる会員権販売収入も、相場の動向に大きく左右されるものであるから、ゴルフ場開発事業に対する融資を実行する場合、その事業計画の内容や資金・収支計画の妥当性を会員権相場の動向にも注意しつつ厳密に検討し、かつ、事業主体の資金力を見極めて、必要な担保を徴求しておくべき任務を負うことは明らかである。

この点、Cらは、本件融資等がいわゆるプロジェクト融資であることを強調し、一般融資ほどに確実かつ十分な担保を求めるのは相当でない旨供述しているところ、確かに、本件のようなプロジェクト融資において、その事業計画の採算性や実現可能性、事業主体の資金力等に特に不安のない場合には、その将来性や発展性に配慮して、一般融資と同程度の十分な担保を徴求しなくても、一概に違法ないし不当ということはできない。しかし、右の諸点に不安の残るような場合には、その不安を解消するに足りるだけの担保を徴求すべきであるし、とりわけそのような不安の残る状況の中で本件のような追加融資を行うときは、少なくとも追加融資分について確実に回収できるだけの十分な追加担保を徴求するなど、追加融資による新たな損害発生を防止するに足りる措置を講じておくべき任務を負うものと解すべきである。

(二) このような観点から本件をみると、Cらは、本件融資等の当時、甲野リゾート開発側に対する融資比率が既に一五〇%を上回るなど担保割れが顕著になっていた上、会員権相場の下落や本件ゴルフ場開発事業の進捗の遅れ、興銀関連事業室の態度の消極化等からして、本件融資等を実行してもその融資金等を回収できなくなる可能性が高いことを認識していたのに、甲野リゾート開発側の事業計画や収支・資金計画等を十分吟味することなく、しかも、追加担保も徴求せず、これに代るべき措置も講じないまま、本件融資等の申込みに応じていたことは、前に認定したとおりである。しかも、Cらは、前認定のとおり、本件融資等の当時、JHL自体の資金繰りが厳しい状況に陥っているのを十分認識し、遅くとも平成三年九月ころまでに被告人Aらによる融資金等の無断流用の事実を認識するに至っていたというのに、十分な使途管理を実施しないまま本件融資等を実行しているのである。

さらに、Eについてみれば、遅くとも平成二年八月ころから、甲野リゾート開発側に対する融資等の稟議に際し作成された法人用チェックリストにおいて、同会社側から徴求した担保物件の一部の査定価額を水増しした記載を行わせていたほか、平成四年一月の債務保証等の際の法人用チェックリストでは、融資比率を低く抑えようとして、本件開発用地について殊更に完成後のゴルフ場の価値を先取りした鑑定結果を採用していることは、前に認定したとおりであり、加えて、右法人用チェックリストに、前認定のような用地買収が完了している旨の虚偽内容の記載のあることも、Eの意向に沿うものであることがうかがわれるのである。

(三) したがって、Cらが本件融資等を実行したことは、前記(一)で判示したCらの任務に背くものであることは明らかであり、また、Cらがこの点につき認識していたことも認められるのである。

4  Cらに図利目的があったこと

(一) 最後に、Cらの図利目的についてみるに、本件では、Cらと被告人両名との間に、殊更に被告人両名の利益を図らなければならないような個人的な癒着があったと認めるに足りる証拠はない。また、関係各証拠によれば、Dがメイプルクィーンの非常勤役員に名を連ねていたことの謝礼として愛澤を介して被告人Aから盆暮れに二〇万円程度の現金を数回受け取っていたことが認められ、金融機関に勤務する者として職業倫理上相当問題のある行為というべきであるが、前認定の事実経過に照らしても、Dがそのために本件融資等を続けたと認めることはできないし、他に、本件融資等が被告人両名ないし甲野リゾートグループを利することを主たる目的として実行されたことをうかがわせるような証拠は存在しない。

(二) しかしながら、前認定の事実経過に照らし、本件融資等の当時、本件ゴルフ場開発事業は、JHLからの融資等がなければとん挫することが必至の状況にあったところ、右開発事業がとん挫すれば、JHLとして融資金等の回収が不可能となるばかりか、右開発事業の事業計画や資金・収支計画の検討、融資金等の使途管理等を十分行わず、著しい担保不足のまま、甲野リゾートグループに対し巨額の融資等を漫然と継続してきたという事実が対外的に明らかとなり、Cらの責任問題に発展することがほぼ確実に予想され、そのことは、このような事実経過を目の当たりにしてきたCらにおいても十分認識していたものと認められる。そうすると、Cらが、前記1ないし3でみたとおり、その任務に違背してJHLに巨額の損害を加えることを認識しながらあえて本件融資等に踏み切ったのは、右の責任問題の発生を回避しようとするCらのいわゆる自己保身の目的によると推認できるのであり、D及びEも、捜査段階ではそれぞれ右推認に沿った供述をしている。

(三) さらに、本件融資等の結果、甲野リゾート開発ばかりでなくその代表取締役ないし取締役であった被告人両名にも利益がもたらされることは明らかであって、そのことを十分認識しながら本件融資等を許容したCらには、副次的にせよ甲野リゾート開発や被告人両名の利益を図る目的もあったものと認めることができる。

5  まとめ

以上によれば、本件融資等を許容して実行したCらについては、いずれも特別背任罪の成立する余地があるということができる。

四  被告人両名に対する特別背任罪の成否について

そこで最後に、Cらについて特別背任罪が成立することを前提として、同罪はもとより背任罪の身分も有しない被告人両名について特別背任罪の共謀共同正犯が成立するかどうかについて検討を加えることとする。

1  本件融資等の加害性についての被告人両名の認識

本件融資等の当時、本件開発用地にポーレット図面に即した高級なゴルフ場を建設することが事実上不可能で、会員権販売についても興銀グループによる積極的な協力を期待できない状況となっており、本件ゴルフ場開発事業の採算性が既に失われていたことは、前に認定したとおりである。

そこで以下、これらの点に関する被告人両名の認識について検討することとする。

(一) ポーレット図面に即した高級ゴルフ場の実現可能性について

検察官は、この点について、昭和六三年一〇月ころ、一八ホールのゴルフ場では採算が取れないことを危惧した被告人Aが、当時の下仁田町の小井土町長に対し、二七ホールによる開発を許容するよう要請した事実があり、また、平成元年秋ころ、被告人Aがハウフルスの菅原茂友に対し、条例で規制された移動土工量では高級なゴルフ場はできないなどと述べた事実があったことなどを理由に、被告人Aらにおいては、本件開発用地の地勢がゴルフ場に適しておらず、二三〇万立米という群馬県の移動土工量規制の下では、コース設計に無理が生じ、低品質のゴルフ場しか造成できないことを十分認識していたことは明らかである旨主張する。

確かに、本件開発用地において高級ゴルフ場を造成するには、検察官が指摘するような多くの問題が存在し、客観的事後的にみればこれらの問題をすべて克服することが極めて困難であることは、前に認定したとおりである。したがって、本件ゴルフ場開発事業を自ら遂行していた被告人両名も相当の危惧感を抱いていたことは容易に推認されるものの、他方、被告人両名がこれらの問題解決を不可能とまで考えていたと認定するには、以下の諸事情に照らし、なお、合理的な疑問が残るというべきであって、検察官の右主張は結局採用できない。

(1) 移動土工量問題

ア 前認定のとおり、ポーレット図面によれば七〇〇万ないし八〇〇万立米に及ぶ土量の移動が必要となるところ、被告人Aは、日栄土木作成の図面で本許可を取得した後、いろいろ理由を付けて変更申請を重ねていけばポーレット図面に近いゴルフ場が建設できると考えていた旨、また、被告人Bも、日栄土木や青木建設から、変更申請を重ねながら良いゴルフ場を造っていくことはできると聞いており、青木建設に任せてあった旨、共に捜査段階から一貫して供述している。

イ そこで、右各弁解の信用性について検討するに、まず、日栄土木及び青木建設の各担当者であった佐々木及び若林はいずれも、当公判廷において、ポーレット図面を基本とすれば、二八〇万立米という県の最終的規制量でも到底収らないことを認めつつ、変更申請を重ねながらポーレット図面に近づける造成をしていくことを検討していたなどと被告人両名の右各弁解に沿う証言をしている。また、青木建設の佐々木富朗土木部長の作業部会における発言内容からは、同人が八〇〇万立米程度の移動土工量を折り込んで検討していたことがうかがえるほか、ポーレット図面自体、許認可後の設計変更に対処しやすいよう作成されていたことがうかがわれる。しかも、平成二年半ばの作業部会(第二回)や平成四年以降のメイプルクィーン、日栄土木及び青木建設三者間の打合せの場でも、ポーレット図面に即した造成を明確に意識した打合せが行われていることは、前に認定したとおりである。

また、倉上らの供述によれば、現に本件ゴルフ場に近接する下仁田カントリークラブでは、六〇〇万立米を超える移動土工量が予想される本命図面を許認可図面とは別途作成しておき、許認可図面で許認可を取得した後、二度にわたり変更申請をすることによって、結果的に当初のもくろみに近い造成を実施し、県側の規制土工量をかなり上回る開発を行ったことがうかがわれるし、関係各証拠によれば、被告人両名を含む本件ゴルフ場開発関係者も右造成の経緯をある程度知悉していたものと認められるのである。

ウ このように、本件ゴルフ場について、県側が最終的にポーレット図面に近づける方向での変更申請を認める現実的可能性があったかどうかはともかくとして、本件ゴルフ場開発に携わった専門家においても、本許可取得後に変更申請を行うことにより、移動土工量の問題を解決することに期待をつないでいたことがうかがわれるのである。しかも、被告人両名は、関係各証拠に照らし、事前協議等における県側との交渉状況等についてリバーハウスの小澤や日栄土木の佐々木から詳細な報告を受けつつも、諸問題の解決は基本的に日栄土木や青木建設といった専門家に任せていた様子がうかがえるのであり、専門家より楽観的見通しを抱いたとしてもあながち不自然とはいえない。そうすると、検察官が指摘するとおり、本件融資等の当時、環境問題等に基づき地方自治体のゴルフ場開発に対する規制が強化される傾向にあり、群馬県でも知事から今後の開発抑制の姿勢が示されるなどしていて、本件ゴルフ場開発事業についても、設計変更の条件が厳しくなるなど影響の出ることが予想されたことを加味しても、被告人両名の前記各弁解を軽々に排斥することは困難である。

(2) 石井所有地問題

ア 石井所有地の問題について、被告人Aは、石井所有地を除外して許認可を取得し、ゴルフ場建設を既成の事実としてしまい、石井が反対する理由をなくす一方、親戚や友人等を説得するなどして、石井が同意しやすい環境づくりを行おうとしていたのであり、石井所有地の取得をあきらめたことはない旨捜査段階から一貫して供述し、被告人Bも、当公判廷において同様の供述をしている。

イ そこで検討するに、この点についても、日栄土木の佐々木及び青木建設の若林はいずれも、被告人Aが右ア掲記のような意向であることは分かっていたなどと被告人両名の右各弁解に沿う供述をしているほか、関係各証拠によれば、石井所有地を除外して本件申請を行う方法については、群馬県からも被告人Aの右意向を容認する示唆のあったことがうかがわれる。

そして、石井所有地を除外して本申請について合意された平成三年六月開催の打合わせに関する日栄土木側の報告書には、将来的な土地取得を見込んでポーレット社側に当初の案で引き続き作業することを要望する趣旨の記載があること、JHL側の三年度鑑定報告書にも、工事着工後に交渉を再開して買収に向けて努力する旨の記載があること、関係各証拠によれば、石井所有地を除外して本申請する方針決定後も、それまでと同様、石井所有地取得を前提としたコースの検討が続けられていたと認められることなども合わせ考えれば、被告人両名だけでなく他の本件ゴルフ場開発関係者も、当時の状況からすると、石井所有地を除外して本申請することも本許可取得のための一つの便法としてやむを得ないものと判断すると同時に、本許可取得後には、造成工事と並行して石井に対する買収交渉を続け、あわよくば買収を成功させて当初の計画どおりポーレット図面に即したゴルフ場を建設することに期待をつないでいたことがうかがわれるのである。

その上、関係各証拠によれば、被告人Aがいわゆる地上げについてそれなりの実績ないし意欲を有していたと認められることや、本許可取得後に買収未了の地権者に買収を迫るという交渉方法自体もあり得ないわけではないこと、被告人Aが石井所有地取得をあきらめた旨発言したことをうかがわせる証拠のないことも合わせ考えれば、前認定のとおり、客観的には石井所有地取得が極めて困難であり、被告人両名も相当の危惧感を抱いていたであろうことは想像に難くないものの、被告人両名において、石井所有地の取得が不可能であることまで認識していたとはいまだ認め難く、石井の翻意に望みをつなぎ、ポーレット図面に即したゴルフ場の建設が必ずしも不可能でないと考えていた疑いは残るというべきである。

(3) 火葬場移転問題

ア 火葬移転問題について、被告人Aは、火葬場の移転は造成工事完了までに行う予定で取りあえず後回しにしていた旨捜査段階から一貫して供述し、被告人Bも、当公判廷において同趣旨の供述をしている。

イ ところで、本件で問題とされる火葬場は、前認定のように、クラブハウス予定地への進入道路付近に位置し、景観や排煙の関係でゴルフ場の営業に支障となることが予想されたものの、本件ゴルフ場の開発地域外に位置するため、ゴルフ場の許認可取得や造成工事自体に直接障害となるわけではなく、行政側から移転問題の早期解決を求められた様子もうかがえない。したがって、ごみ処理場の移転問題とは異なり、開発計画上処理を後回しにするという手法も考えられないわけではなく、日栄土木の佐々木も、移転時期は施主の判断に任されており、許認可や造成工事への障害になるわけではないなどと、被告人両名の右各弁解に沿う証言をしている。

また、関係証拠によれば、火葬場については、昭和六三年一〇月に町側と甲野リゾート開発との間で移転に関する覚書が作成され、町の指定する場所に建設する旨明記されていると認められ、右覚書からすると、本件融資等の当時は、移転先の選定が町側に委ねられた状態にあったとも考える余地があるほか、被告人両名が火葬場の移転を断念したことをうかがわせる証拠は見当たらない。しかも、本件ゴルフ場開発関係者の打合わせ状況をみても、関係各証拠によれば、昭和六三年末にしばらく現状維持とされ、平成二年暮れには工事着工後に再検討するとの方針が決まり、本許可取得後である平成六年段階になって改めて協議され始めたと認められるなど、被告人両名の右各弁解に沿った動きを示しているのである。

ウ そうすると、本件融資等の当時、火葬場移転計画が具体化されていなかったからといって、被告人両名において、ポーレット図面に即したゴルフ場の造成が不可能であると認識していたことを示すものとは認め難く、被告人両名の前記各供述は、不自然・不合理なものともいえないから、直ちに排斥することは困難である。

(4) 以上検討したとおり、本件開発用地においてポーレット図面に即した高級ゴルフ場を造成するには、以上みたような種々の解決困難な問題が存在し、被告人両名もこれらの問題の存在については認識していたと認められるから、被告人両名が本件開発用地における高級ゴルフ場の実現可能性について相当の危倶感を抱いたであろうことは容易に推認されるものの、他方で、被告人両名を含む本件ゴルフ場の開発関係者は、本件融資等の当時も、ポーレット図面にできるだけ近いゴルフ場を建設することになお期待をつないでおり、とりわけ施工上の諸問題の解決について日栄土木や青木建設等の専門家に委ねる姿勢を示していた被告人両名は、更に楽観的見通しを持って、いずれの問題も将来的には解決可能であると考えていたふしも見受けられるのであって、被告人両名がこれらの問題解決を不可能とまで認識していたと認定することには、なお合理的な疑問が残るというべきである。

(二) 会員権販売への興銀グループの協力について

検察官は、この点について、興銀関連事業室はJHLに対する助言者として作業部会に参加していたにすぎず、本件ゴルフ場の会員権販売について協力を約束したことはなかったし、平成三年二月中旬ころ、関連事業室の一方的通告により作業部会が開催されなくなった後は、興銀は本件ゴルフ場開発事業に全く関与しなくなっており、本件融資等の時点で興銀による会員権販売への協力が全く期待できなくなっていたことは、被告人両名も認識していた旨主張する。

そこで、会員権販売への興銀グループの協力についての被告人両名の認識につき、段階を追って検討を加えることとする。

(1) 作業部会が開催されていた当時における被告人両名の認識

ア 被告人両名は、前認定の事実経過に照らし、関連事業室の望月らが本件ゴルフ場開発事業に関与するに至った経緯に関知していないことは明らかであり、関連事業室の興銀内における位置付けや望月及び清水の立場について詳しく理解したり、関連事業室との関係以外に興銀とつながりがあったとはうかがわれないから、被告人両名において、関連事業室を興銀ないし興銀グループを代表するものと考え、関連事業室の発言や姿勢を、興銀ないし興銀グループの姿勢としてとらえたとしてもあながち不自然とはいえない。そして、前認定のとおり、関連事業室は、一連の作業部会において、興銀グループが会員権販売に協力することを視野に入れて積極的な関与をしていたと認められる上、望月や清水の作業部会における発言には、被告人両名の立場からすれば、会員権販売への協力を含め、右開発事業への協力が興銀グループ内において既に了承されているかのように受け取られかねない表現もあったのである。しかも、前認定のとおり、清水は、興銀の関連会社を会員権販売に参加させる意向を示すなど具体的な販売方法についても踏み込んだ発言をし、右開発事業への協力につき頭取も了承していると告げているほか、興銀会長に本件ゴルフ場の理事長への就任を打診してみるとも述べていることなどからすれば、このような清水らの言動を受けて、被告人両名が将来的に興銀グループによる会員権販売への協力が得られることを期待したであろうことは十分うかがうことができる。

イ そして、メイプルクィーン側で作成された作業部会報告書には、作業部会における議論として、興銀の関連会社をフルに活用することを考えるべきであるとか、本件ゴルフ場について、「日本興業銀行が初めて直接参画するゴルフ場」、「日本興業銀行関連グループの事業」とする記載があるほか、作業部会での被告人Aの発言にも、興銀の協力が絶対必要であるとか、販売対象として興銀の取引先を中心にしたいとか、興銀のバックアップ体制というものが見えてきたなどと、興銀の会員権販売に対する協力を当然の前提としていると思われる発言が数多く認められる。

また、被告人Aは、前認定のとおり、本件ゴルフ場開発事業に取り掛かった当初は、花子を看板とする個人向けのゴルフ場を意図していたが、花子の死亡及びメイプルクィーンへの出資等の興銀グループによる右開発事業への関与を転機として、ゴルフ場の企画を法人会員を中心とする高級ゴルフ場に変更するとともに、二次計画を含めた総合リゾート化構想まで打ち出し、会員権販売総額も従前の予定額から大幅に引き上げるなどしているところ、その背景として、興銀グループに対する期待感が存在したことは明らかであるし、関係各証拠によれば、実際、平成元年秋ころから平成二年秋ころにかけて、被告人Aが周囲の者に対し「興銀がバックアップしてくれると言っているんだから大丈夫だ」などと興銀による販売協力を当てにする発言を多々していたことも認められるのである。

さらに、関係各証拠によれば、平成二年半ばころは、青木建設においても、興銀グループが会員権販売を全面的に支援することになる旨認識していたことが認められる上、JHLも、平成元年以降、興銀の支援に期待を寄せていたとうかがえるのであって、そのような情勢の下で、被告人両名が興銀グループの会員権販売への協力に期待を抱いたとしても決して不自然ではない。

ウ この点、検察官は、被告人Aの作業部会における「興銀さんが六〇〇〇万円で不安に思うんだったら、販売は頼まなくてもいい。それくらい六〇〇〇万円に自信がある。」(第三回)、「二次の方は、余剰資金を取り崩すのではなくて、余剰資金を逆に担保にすることを考えていきたい。」(第四回)、「どこからそういうすれ違いができたのか、興銀がやるゴルフ場だというふうには思っていない。」(第六回)などの発言を根拠として、被告人両名においても、興銀グループが会員権の販売協力を約束したものでないことは十分認識していたはずである旨主張する。

しかしながら、清水においても、被告人Aが花子死亡後は興銀の協力が不可欠という感じになっていたとか、被告人Aの「販売は頼まなくてもいい。」との発言は強がりではないかなどと証言するように、右各発言前後の議論の流れや作業部会等における言動等からうかがわれる被告人Aの性格等に照らせば、被告人Aの右各発言はその場の勢いによるものとみる余地もある。したがって、右各発言のみを根拠として、被告人両名が興銀グループの販売協力が期待できないことを十分認識していたと認定することは困難であって、検察官の右主張は採用できない。

エ そうすると、被告人両名は、作業部会が開催されていた当時は、作業部会における望月や清水の発言や姿勢等から、興銀グループによる会員権販売への将来的な協力に強い期待を抱いていたものと認められる。

(2) 本件融資等の当時における被告人両名の認識

ア(ア) 被告人両名はいずれも、この点、当公判廷において、興銀が本件ゴルフ場開発事業に直接関与できなくなったことが分かったのは平成四年一〇月の融資再開のころであった旨供述している。

(イ) しかしながら、前認定のとおり、平成三年二月開催の第一〇回作業部会から同年八月の本件融資申込み時点までの間に半年以上の期間があり、その間に石井所有地を除外した本申請やカートシステムの採用の当否といった重要な問題が生じていたのに、作業部会は開催されないままであったし、被告人Bが右第一〇回作業部会から同年四月ころまで清水に繰り返し作業部会の日程調整を重ねて要請したが断られ、それ意向、関連事業室からは、作業部会の再開や会員権販売への協力について積極的姿勢の示されることが全くなかったのであるから、これらの事実経過に照らせば、被告人両名も関連事業室側の態度の硬化を感じ取っていたと容易に推認することができる。そして、関係各証拠によれば、清水は、一連の作業部会において、許認可取得のめどを重視し、特に同年二月を一つの最終期限と位置付けて、被告人Aに対し繰り返しその確認を行っていたことが認められるところ、このような関連事業室側の姿勢は被告人両名も当然認識していたはずである。

ところが、本件融資等の当時に至っても、石井所有地を除外して本申請を行う方針こそ定まったが、その準備作業に加え、他の未買収地権者の存在等の問題解決のために本許可取得時期のめどが立たず、会員権相場も下落基調が続き回復の兆しがみえないような状況にあったこと、第一〇回作業部会の段階でも、関連事業室側と被告人A側とは、多くの点で意見が食い違い、ゴルフ場の収支計画や会員の法人個人比率等といった基本的な事項についても合意できず、そのめども立たない状況にあったことは、前に認定したとおりである。そして、このように興銀グループによる会員権販売への協力が具体化されるには程遠い状況にあったことは、被告人両名としても当然に認識していたものと考えられる。

(ウ) そうすると、被告人両名は、作業部会開催中こそ興銀グループによる会員権販売への将来的協力について強い期待を抱いていたと認められるものの、遅くとも第一〇回作業部会から半年以上も作業部会が再開されなかった同年八月ころまでには、興銀グループから会員権販売への協力を得ることがもはや困難になってきたのではないかとの危惧感を抱いていたと推認することができる。

(エ) ちなみに、被告人両名の第一〇回作業部会後における行動をみると、同年四月ころまで被告人Bが清水に対し作業部会の開催を電話で要請していたことは、前認定のとおりであるが、関係各証拠によれば、それ以降は、同年夏ころに被告人Bが清水に対しメイプルクィーン株主総会の報告を行ったことがうかがえる程度で、被告人両名が興銀側に具体的な接触を図った形跡のないこと、同年四月にそれまで興銀を代表して主導的かつ積極的に作業部会に関与してきた望月の異動という事態が起こったのに、被告人両名が望月の後任者である天野や藤井に面会すら申し入れていないこと、石井所有地を除外して本申請し、あるいは本件ゴルフ場の運営方針としてカートシステムを採用しノーキャディー方式によるセルフプレイを基本とするとの決定を関連事業室を抜きにして行っていること、同年一二月の下仁田町への本申請書の提出についても、興銀に報告すらしていないことが認められるのであり、これらの被告人両名の興銀に対する対応は、被告人両名が当時の状況として興銀ないし興銀グループの協力を得るのが困難であると認識していたことの証左というべきである。

なお、被告人両名は、関連事業室側に対する連絡を控えた理由として、前記興銀の絡む詐欺、背任等の刑事事件により関連事業室が忙殺されていたことを挙げるが、前認定のとおり、関連事業室が右事件で忙殺されたのは同年夏ころ以降である上、本件ゴルフ場開発事業を成功させる上で興銀グループによる会員権販売への協力が不可欠であることは、被告人両名も当然に認識していたはずであり、関連事業室がいかに忙しくても面会すら申し入れようとしていない被告人両名の行動は、興銀グループによる会員権販売への協力を確信していた者の行動としては余りに不自然といわざるを得ない。

(オ) 以上のとおり、本件融資等の当時も興銀グループの協力を確信していたとする被告人両名の前記各弁解をそのまま信用することは困難というほかなく、被告人両名においても、遅くとも同年八月の融資申込みまでには、興銀グループによる会員権販売への協力についての相当の危惧感を有するに至っていたものと認められる。

イ(ア) 一方、検察官は、本件融資等の当時、興銀グループによる会員権販売への協力は全く期待できなくなっており、被告人両名もこれを認識していた旨主張する。

(イ) しかしながら、前認定のとおり、清水は、最後の第一〇回作業部会においてすら、被告人両名に対し、興銀グループの協力姿勢について期待を抱かせかねない発言をしていた上、関係各証拠によれば、作業部会への参加を断った際、清水は、「当面は電話で進捗状況を打ち合わせてもいいんじゃないですか。」、「石井の土地が上がらないと作業部会を開いても意味がない。」、「そこまでやるんでしたら興銀を抜きにしておやりください。」などと婉曲な表現を用いており、関連事業室として今後作業部会には一切参加しないとか、本件ゴルフ場開発事業から手を引くなどと明確には告げなかったと認められる。しかも、前認定のとおり、興銀の関連会社は、平成六年末ころまでメイプルクィーンの株主の地位にとどまっていたことなどからすれば、被告人両名が本件融資等の時点においても興銀グループによる会員権販売への協力になお期待を持ち続けていたとしても、あながち不自然とはいえない。

ちなみに、関係各証拠によれば、JHL審査部が平成三年夏ころ及び平成四年七月ころに行った事情聴取の際にも、被告人両名は、法人会員中心のゴルフ場を目指し、会員権販売は興銀グループに全面的に依存する旨述べていたほか、同年一〇月の融資再開ころも高額な会員権販売計画を維持しており、興銀グループの消極姿勢について不満を外部に漏らし始めたのは同年八月ころになってからであったと認められる。そして、その当時においても、会員権を五〇〇〇万円以上の価格で売り出すゴルフ場が群馬県内を含め全くないわけではなかったという関係証拠から認められる状況も合わせ考慮すれば、右のような被告人両名による会員権販売計画や興銀グループに期待する旨の言動が、いずれも興銀グループによる会員権販売への協力を全くあきらめた上の見せ掛けないし強弁であるとまで断ずることは困難である。

(ウ) この点、被告人Aは、捜査段階において、平成三年八月、興銀側のプロジェクトの対応が消極的に変わってきたとの印象を受け、被告人Bと会員権の販売計画を内部で見直したことがあり、会員数一二〇〇人程度、平均価格二三〇〇万円程度、総売上二八〇億円という計画を立てたりしたなどと供述しているが、被告人Aがそのころに総額二八〇億円という会員権販売を計画していたことを示す証拠は他に見当たらず、かえって、四年度審査報告書等によると、甲野リゾート開発側の会員権販売案は、その後も平成四年一〇月ころまで総額四五〇億ないし五〇〇億円前後で推移していたことが認められるのである。したがって、仮に被告人Aが右のような計画をその当時立てていたとしても、それは、興銀グループによる協力の実現性に危惧感を抱いていたことをうかがわせるにとどまり、右協力を断念したことの裏付けとなるものではない。

また、被告人Bも、捜査段階において、同年一月の保証について、当時、興銀の支援が得られないことが明らかとなったことから、販売計画を見直さざるを得なくなり、右保証についての法人用チェックリストにあるとおり、第一期の会員権販売で二五〇億円を見込む計画に変更した旨供述しているが、E及び北原の各供述によれば、右法人用チェックリストに記載された会員権販売計画は、JHL審査部作成の三年度鑑定報告書の鑑定結果を参考に、Eと北原が相談して作成した仮案であると認められ、甲野リゾート開発側においても同様の計画を策定したことを裏付けるような客観的証拠は存在しない。しかも、被告人Bの右供述は、捜査段階で初めて目にしたJHL側の法人用チェックリストを見せられての供述であることも考慮すると、これをそのまま信用し難いものというべきである。

(エ) そうすると、本件融資等の当時、被告人両名が、興銀グループによる会員権販売への協力に期待を持ち続いていたとの疑いは払拭し難く、検察官が主張するように、被告人両名において、興銀グループによる協力が全く期待できなくなっていたことを明確に認識していたとまで認定することは困難である。

(三) 本件融資等の採算性について

以上の点を前提として、本件ゴルフ場開発事業の採算性についての被告人両名の認識を検討すると、本件融資等の当時、本件開発用地にポーレット図面に即した高級ゴルフ場を造成するには、移動土工量、石井所有地、火葬場移転等の解決困難な問題が数多く存在し、被告人両名も、これら問題の存在を認識し、本件開発用地での高級ゴルフ場の実現可能性について相当の危惧感を抱くとともに、遅くとも平成三年八月の融資申込みにまでに興銀グループによる会員権販売への協力について相当の危惧感を有するに至っていたことは、前に認定したとおりである。しかも、前認定のように、本件融資等の当時、右開発事業については本許可取得の見込みも確定し難い状況にあり、ゴルフ会員権相場が下落基調にあたったことも合わせ考えれば、被告人両名としても、予定していた四〇〇億円を超えるような会員権販売収入の実現性について疑問を持たなかったはずはないというべきである。そうすると、被告人両名は、右開発事業の採算性に疑問を抱きながら、すなわち、本件融資等によりJHLに損害を与えかねないことを少なくとも未必的に認識しながら、あえて本件融資等を申し込んだものと認めることができる。

もっとも、被告人両名が、本件融資等の時点において、本件開発用地でポーレット図面を基にしたゴルフ場の実現が不可能であるとか、興銀グループによる会員権販売への協力が全く期待できないと認識していたとまで認められないことは、前に判示したとおりである。したがって、被告人両名として、将来の会員権販売収入により最終的には本件融資金等を返済する余地も残されていると認識していた疑いも払拭しきれないのであるから、検察官が主張するように、被告人両名が本件融資等によりJHLに損害を与えることを確定的に認識していたとまで認定するにはなお合理的な疑いが残るというべきである。

2  本件融資等の任務違背性についての被告人両名の認識

関係各証拠に照らしても、被告人両名がJHL側における貸出しに関する内規等の内容や本件融資等に係る決裁状況、甲野リゾート開発側から提供していた担保の査定状況等を詳細に認識していたことをうかがわせる事情は存しない。とはいえ、被告人両名はいずれも、前認定のような長年にわたる経済人としての経験等を通じて、金融機関で融資等の業務を統括しているCらが回収見込みの乏しい融資等を実行してはならないという任務を負っていることは、当然認識していたものと推認されるところ、被告人両名において本件融資等がJHLに損害を与えかねないことを未必的に認識していたことは、前に認定したどおりである。

しかも、前認定のとおり、本件ゴルフ場開発事業に関しては、本件融資等の当時までに総額一〇〇億円を超える融資を受けていながら、用地買収も完了せず、当初予定していた事業予定が幾度となく先延ばしとなり、所要資金の総額も当初の予定より大幅に拡大しているという状況にあったのに、被告人両名は、JHL側が融資金等の使途目的について十分な調査を行わないまま巨額の融資等に応じてきたことを目の当たりにしてきたばかりか、それに乗じて、融資金等の一部を盆栽等の購入や株取引に無断流用してきたのであり、さらに、平成三年六月には北原から融資金等の一部の不自然な流れについて問い質されるなどして、JHL側が右融資金等の流用の事実を察知したことを知ったのである。

そうすると、被告人両名としては、右のような状況にありながらなおも本件融資等の申込みに応じようとするCらの姿勢について、金融機関の融資等の責任者によるものとして不自然さないし異常さを感じ取らなかったはずがなく、その意味において、本件融資等の実行がCらの任務に違背するものであることをそれなりに認識していたものと認められる。

3  Cらの図利加害目的についての被告人両名の認識

(一) 被告人両名は、前認定のとおり、本件融資等がJHL側に損害を与えかねず、その実行がJHLでのCらの任務に違背するものであることを、それなりに認識していただけでなく、本件融資等の時点までにJHLから一〇〇億円を超える融資等を受けていて、融資等が打ち切られれば、本件ゴルフ場開発事業がとん挫することを当然に認識しており、しかも、それまでのJHLによる融資等が担保の徴求や事業の進行管理ないし融資金等の使途管理等の面で極めて杜撰なものであることを目の当たりにしてきたのである。

そうすると、被告人両名としても、Cらが本件融資等を拒絶して右開発事業がとん挫すれば、それまでの杜撰な融資等が使途管理が明らかとなって、右融資等の責任者であるCらの責任問題にも発展しかねないことは認識し得たはずであり、Cらが本件融資等に応じた背景事情として、右責任問題を回避しようとする自己保身の目的があったこともそれなりに認識していたものと推認できる。

(二)(1) この点、検察官は、前記三の4(二)掲記のような諸事情を指摘し、これら事情をCらが認識して自己保身目的を抱いたのはもとより、被告人両名も、Cらの右認識ばかりでなくその自己保身目的についても明確に認識していた旨主張する。

(2) そこでまず、本件融資等の当時までの被告人両名に対するJHL側の対応等についてみると、被告人両名は、平成三年三月ころから度々追加担保を要求され、同年六月ころに北原から融資金等の使途について事情を問い質され、同年七月にEらから、事業資金の絞り込みと三か月間の資金計画の提出を要求され、同年八月にJHL審査部から本件ゴルフ場開発事業の採算性等について調査を受け、同年九月にDから融資金等の無断流用を戒められ、そして、同月の融資後にEらから、今後しばらくは融資できない旨通告されて、甲野リゾート開発側に対する融資等を制限していこうとするJHLの方針を知ったことは、前に認定したとおりである。しかし、関係各証拠によっても、被告人両名はEや北原から融資等を制限する理由としてJHLの資金事情が厳しくなったという説明を受けたと認められるにすぎず、それ以上に、Cらにおいて本件融資金等の回収見込みが失われたとまで判断していたことを知り得るような状況があったとは認められない。

しかも、被告人両名が、本件融資等の時点において、本件開発用地でポーレット図面を基にしたゴルフ場を実現することが不可能であるとか、興銀グループによる会員権販売への協力が全く期待できないと認識していたとまで認められないことは、前に判示したとおりであり、これらの点も考慮すると、本件融資等の当時、被告人両名において、Cらが本件融資金等の回収見込みがないと判断していると確定的に認識していたとまでは認め難い。

さらに、前に認定したように、本件融資等の当時、Eらは、JHL内部の稟議資料である法人用チェックリストで、甲野リゾート開発側から提供された担保の水増し査定を行い、また、JHL審査部は、三年度鑑定報告書において、会員権相場の下落傾向、本件開発用地の立地条件等に照らし甲野リゾート開発側の事業計画を担保評価の基礎とすることは妥当でない旨判断していたことは、本件融資等の加害性についてのCらの認識の根拠の一つとなるものではあるが、被告人両名において右の各事実を認識していたと認めるに足りる証拠はないのである。

なお、検察官は、被告人両名が石井所有地を除外して本許可を取得することにしたのは、問題を先送りする単なる便法であって、Cらの自己保身目的を熟知していた証左であるとも主張するが、前認定の事実経過に照らすと、被告人両名は本許可取得後も造成工事と並行して石井に対する買収交渉を続け、最終的には買収を成功させて当初の計画どおりポーレット図面に即したゴルフ場を建設しようと考えていたことが強くうかがわれるのであって、検察官の右指摘も当を得ないものである。

(3) 結局のところ、本件融資等の当時、被告人両名が本件融資金等の返済見通しに関するCらの認識や自己保身目的を明確に認識していたとする検察官の前記主張は、採用することが困難である。

4  被告人両名の図利加害目的

前認定のとおり、本件融資等は甲野リゾート開発及び同グループ全体を利することはもとより、被告人Aは同会社の代表取締役としてその業務全般を統括するとともに同グループ全体を支配し、被告人Bも甲野リゾート開発の取締役であるとともに同グループ全体の経理を掌理していて、いずれも個人的にも本件融資等により利益を受ける立場にあったから、被告人両名が共に甲野リゾート開発ないし同グループ全体、更には自分たちの利益を図る目的で本件融資等の申込みを行ったことは明らかである。

5 被告人両名とCらとの共謀の成否

以上のとおり、被告人両名は、本件融資等がJHLに対して損害を与えかねず、その実行がCらの任務に違背するものであり、Cらが自己保身の目的を有していたことをそれなりに認識しながら、甲野リゾート開発ないし同グループ、更には自分たちの利益を図る目的をもって本件融資等を申し込み、JHLをして本件融資等を実行させたと認められる。

しかし、本来、金融機関から融資等を受ける借り手は、貸し手である金融機関の利益を確保すべき任務を負っているわけではないから、右のような認識ないし目的の下に融資等を申し込んだからといって、それだけで金融機関に対する特別背任罪の共謀が成立するものではなく、本件のような事例において身分のない借り手につき金融機関に対する特別背任罪の共謀共同正犯が成立するためには、前記1ないし4でみたような主観的要素に加え、身分者である金融機関職員による任務違背行為(背任行為)に共同加功したこと、すなわち、その職員の任務に違背することを明確に認識しながら同人との間に背任行為について意思の連絡を遂げ、あるいはその職員に影響力を行使し得るような関係を利用したり、社会通念上許容されないような方法を用いるなどして積極的に働き掛けて背任行為を強いるなど、当該職員の背任行為を殊更に利用して借り手側の犯罪としても実行させたと認められるような加功をしたことを要するものと解される。

そこで、本件において、被告人両名がCらの背任行為に右のような意味で共同加功したと認められるかどうかについて以下に検討を加えることとする。

(一)  被告人両名とCらとの間に意思の連絡について

(1)  まず、検察官は、被告人両名において、本件融資等がCらの任務に違背することを十分認識しながら、Cらに本件融資等を懇請し、Cらがこれを承諾することにより、Cらとの間に、明示的ではないが黙示的に共同して背任行為を実行しようとする意思の連絡があったとし、その具体的方法として、①平成三年六月から七月にかけて、被告人両名が石井所有地を除外して設計変更を行い本許可を取得したい旨JHLに伝え、JHL側がこれを了承したこと、②平成四年一月中旬ころ、実際は本申請が受理してもらえない状況にあったのに、被告人両名が本申請の仮受理という便法を用いてJHL側に債務保証を申し込み、Dらも、これを受けて、JHL側の稟議資料に、用地取得を完了して本申請を行った虚偽の記載をさせたことを挙げて、被告人両名とCらないしDらとの間に、本件ゴルフ場開発事業のとん挫を覚悟の上で、その破綻を一時先延ばしすることにより、被告人両名においては引き続きJHLからの融資等を受けることによって甲野リゾート開発等の利益を図り、CらないしDらにおいては本許可の所得という形式を整えることによって自己保身を図ろうとする意思の連絡を遂げたものである旨主張する。

(2)  確かに、前判示のとおり、被告人両名において、本件融資等の実行がCらの任務に違背するものであることをそれなりに認識していたとは認められるものの、被告人両名が本件融資等によりJHLに損害を与えることを確定的に認識していたとまで認定することにはなお合理的な疑いが残るというべきであるから、被告人両名において、本件融資等がCらの背任行為に当たることを明確に認識していたとまで認めることはできない。

(3)ア  また、検察官が意思の連絡の具体的方法として主張する点についてみるに、まず、前記①に関し、被告人両名による本申請は、検察官主張のような意図に基づくものではなく、被告人両名において、右設計変更後も石井所有地の取得に望みをつなぎ、ポーレット図面に即したゴルフ場建設実現の可能性もあると考えて本件ゴルフ場開発事業を継続していたという合理的な疑いが残ることは、前判示のとおりである。

イ  さらに、前記②については、用地買収が完了していないのに被告人両名が本申請書の提出を急いだのは、前認定事実に照らすと、本申請が青木建設からの融資の条件とされていたためであったことがうかがわれ、その意味で、この時期の本申請書の提出には、本申請をしたという形式を整えようとした面のあることも否定できない。

しかし他方、前認定事実に関係各証拠を総合すると、当時はごみ処理場移転問題が既に解決し、石井所有地を除外した本申請の準備も整った時期にあった上、県側は用地買収の完了を本申請受理の条件とする旨指導していたものの、県の指導要領上は全地権者の同意で足りるとされていたのであるから、用地買収が未了であっても、本申請が受理される可能性を否定し去ることはできない。

もっとも、検察官が指摘する稟議資料の記載内容は明らかな虚偽であり、同資料の作成者である北原は、被告人Bから聞いて記載したと思う旨証言しているが、関係各証拠によれば、被告人Bは、同じころ、青木建設の若林に対しては未買収地権者の存在を伝えており、EやDも当時用地買収が未了であることは承知していたと認められることに照らせば、右北原証言の信用性には疑問があるのであって、被告人Bが殊更にこの点についてJHL側に虚偽の報告をしていたとも認め難いのである。

(4)  そうすると、検察官指摘のような諸事情から、被告人両名において、本件融資等がCらの背任行為に当たることを明確に認識しながらCらとの間に本件融資等の実行について意思の連絡を遂げたと認定することは困難であり、他に、被告人両名とCらとの間にそのような意思の連絡があったことをうかがわせる的確な証拠は見当たらないから、検察官の前記主張はすべて採用できない。

(二)  被告人両名のCらに対する働き掛け等について

(1)  検察官は、被告人両名において、Cらに対し、①欺罔的方法さえ用いて被告人両名への融資等を継続せざるを得ない状況に追い込んだ上、②本件ゴルフ場開発事業が順調に進捗しているかのごとき外観を作出するというCらの保身のための方策を提案するなどして、③右開発事業において何らかの成果があった形式を作ってでも保身を図りたいというCらの弱みに付け込んで融資等を求め、Cらをして背任行為に及ばせたものであり、これらによって被告人両名がCらの背任行為に共同加功した旨主張する。

(2)ア  そこで、検察官の右①の主張、すなわち、被告人両名が欺罔的方法さえ用いてCらを追い込んだとする点についてみるに、確かに、前認定の一連の融資等の経過をみれば、被告人両名は、いまだ許認可等の取得見込みの立たない段階から、間もなく許認可が取得できる見込みであるとか、融資金等の返済も事業の進捗状況も問題はないなどと繰り返し説明してきた経緯が認められる一方、当初は平成元年一二月に本許可取得予定であった事業計画を次々と延期して、本件融資等の当時に至っても、いまだに本許可の取得もおぼつかない状態にあり、その間、所要資金が当初の予定より大幅に拡大しただけでなく、被告人両名が融資金等の一部を盆栽等の購入や株取引に流用するなどしたこともあって、本件融資等の直前には融資等の残高が総額約一一〇億円にも達していたのであり、このような経緯が結果的にCらをして自己保身目的による背任行為に駆り立てた要因となったことは否めないし、被告人両名による事業の採算性、進捗状況等に関するJHL側への説明は、都合の良い事実は誇張し、不都合な事実はあえて説明しないという甚だ場当たり的で御都合主義的なものであったことがうかがわれる。

イ  しかし、被告人両名は、前認定のとおり、本件融資等の当時も、ポーレット図面に即した高級ゴルフ場の実現に期待をつなぎ、本件ゴルフ場開発事業の採算性が失われていることを確定的には認識していなかったのであり、被告人両名によるJHL側への説明も、経営者としての期待を込めた楽観的な認識を反映し、あるいは交渉上の駆け引きに類するものとみる余地も残る上、被告人両名が殊更に虚言を用いてJHL側を欺罔しようとしたような状況はうかがえない。また、融資するかどうかは貸し手側の判断事項であり、借り手側に対して、融資を受けるのに不利な事情をすべて開示することまで期待するのは困難であるし、借り手側の楽観的見通しや駆け引きを鵜呑みにした貸し手側の判断ミスまで、借り手側の刑事責任の根拠とするのも相当とはいえない。したがって、被告人両名のJHL側への説明が甚だ場当たり的で御都合主義的なものであったとしても、そのことのみをもって、被告人両名による共同加功の根拠とすることは困難である。

(3)  次に、検察官の前記②の主張、すなわち、被告人両名が石井所有地を除外して本許可を取得する方法を提案して、本件ゴルフ場開発事業が順調に進捗しているかのごとき外観を作出して保身を図りたいCらの弱みに付け込もうとした旨の主張についてみるに、このような見方が当を得ないものであることは、前記四の1(一)の(2)で判示したとおりである。

(4)ア  さらに、検察官の前記③の主張、すなわち、被告人両名がCらの弱みに付け込んで融資等を求めたとする点についてみるに、本件融資等に至る経緯や融資金等の費消状況等からすれば、JHLの融資等が担保の徴求や事業の進行管理ないし融資金等の使途管理等の面で極めて杜撰なものであり、そのことを被告人両名が認識していたことは明らかである。したがって、被告人両名において、JHL側の体制の甘さに付け込んで本件融資等を申し込み、Cらによる背任行為を誘発した面のあることも否定できない。

イ  しかし、関係各証拠を精査しても、被告人両名がCらに対し何らかの影響力を行使し得るような関係があったとは認められず、被告人両名が財産上の利益を供与するなどしてCらを取り込んだり、使途管理の甘さなどのJHL側の弱みを殊更指摘するなどして、Cらに対し有形・無形の圧力をかけたような状況も全くうかがわれないし、被告人両名による融資の申込みが特に強硬であったり執ようなものであったとも認められない。

ウ  かえって、前認定のとおり、被告人両名は、JHL側から融資申込額を一部削られたこともあったほか、平成三年九月の融資を区切りとしてJHL側からしばらくの間は融資できない旨告げられるや、同会社からの融資等をあきらめ、同年一二月には青木建設に融資を申し込んでおり、さらに、平成四年四月にJHL側から融資中断の告知を受けた後は、被告人Aが街金等から資金を捻出して本件ゴルフ場開発事業を継続しているのであって、被告人両名が何としてでもJHLから融資金等を引き出そうとしたような状況はうかがわれないのである。

(5)ア  さらに、被告人両名は、前認定のとおり、本件融資等の前から融資金等の一部を盆栽等の購入や株取引に無断で流用していたほか、本件融資等の当時には、右流用の事実がCらに露見したことを認識しながら、本件融資金等の一部についても盆栽等の代金の支払や株取引に流用したのであって、このような行為がJHLに対する詐欺的な背信的行為に当たることは明らかである。

イ  しかし、前判示のとおり、被告人両名は本件融資等の当時もいまだ将来の会員権販売収入によって本件融資金等を返済できる余地もあると考えていた疑いが払拭できない上、本件融資金等の大半は本件ゴルフ場開発事業の継続のために費消されていること、被告人両名が、平成三年九月ころにDやEから融資金等の流用を明示的にとがめられた後は、保有していた株式を徐々に売却するとともに、盆栽等の新規購入は控えるようになったと認められることなどを総合すれば、被告人両名において、従前の融資金等の流用を見過ごしてきたCらの弱みに付け込み、あるいは将来の融資金等の流用についても黙認しかねないJHL側の使途管理の杜撰さに付け込もうとしたような状況も認められない。

(6)  以上のように、被告人両名による本件融資等の申込みについては、Cらの弱みに付け込んだような状況が全くうかがわれないほか、それ自体、融資等を申し込む行動として社会通念上許容される範囲の比較的穏当なものであったということができるから、これをとらえて、被告人両名による共同加功を認めることは困難である。そして、本件全証拠を子細に検討しても、他に、被告人両名において殊更にCらの背任行為を利用して被告人両名自身の犯罪としても実行させるべく働き掛けたような状況は認められないから、被告人両名においてCらの本件背任行為に共同加功したと認定するに足りる的確な証拠は存在しないというべきである。

(三)  まとめ

以上のとおり、被告人両名は、本件融資等がJHLに損害を与えかねないものであること、本件融資等を実行することがCらの任務に違背するものであること、Cらがいわゆる自己保身の目的を有していることをそれなりに認識しながら、甲野リゾートグループないし自己らの利益を図る目的をもって本件融資等を申し込み、JHLをして本件融資等を実行させ、その結果として、JHLに右融資等相当額の損害を負わせたと認められるものの、関係各証拠を精査しても、被告人両名がCらの本件背任行為に共同加功したとは認められない以上、本件全証拠によるも、被告人両名がCらとの間で特別背任について共謀を遂げたと認定することはできないのである。

五  結論

以上の次第で、被告人両名についてCらとの間の共謀に基づく特別背任罪の成立が認められない以上、被告人両名に対する本件公訴事実についてはいずれも犯罪の証明がないことに帰着するから、刑訴法三三六条により被告人両名に対しいずれも無罪の言渡しをすることとする。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官・中谷雄二郎、裁判官・伊藤雅人、裁判官・矢野直邦)

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